『大日本史料』 10編 1 永禄11年8月~同12年2月 p.377

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樣に仕り、雜人に紛、早今川乃御館へ火を懸よと被仰付、次日十三日には、, 本に、隨分武篇覺の衆ありといへとし、今川の御家風年久敷不都合にて、, 大夫日來は如形よお侍大將なるが、今日一乃さおに引入て候、其上清見, 大夫と仰あれは、先乃所には居申さす候と申す、人質はと問給へは、是も, 駿府乃城を燒拂給ふ、扨又駿河山西花澤の城に、今川家に、弓矢功者乃家, 兵部介、内藤修理少七頭、江尻をこし、宇八原迄旗さお見ゆる、氏眞公の旗, く、殘りて廿かしらの衆色を立て、別心なりとある處に、信玄公乃先衆は、, ましませは、御小人頭二人廿人衆頭二人合て四騎乃者に被仰付、亂取乃, しよせらるゝ衆をえらひ、三浦右衛門介承、書付を仕る内に、朝比奈兵衞, 寺迄敵乃來るに、帶をときうしろあふり乃樣子は、兵衞大夫、信玄公内通, かと見え候と申上る、氏眞きこしめし、各と談合なさるへきとありて、め, 舊好乃家老衆に恐怖をもたせ給ふゆへ、内輪かはり候へは、則時に御館, 山縣三郎兵衞、馬場美濃守、小山田兵衞尉、小幡上總守、眞田源太左衞門、同, をあきられ、とた乃山家へほほみ被成候、信玄公、遠慮乃深た名大將にて, 見え申さす候と申す、扨こそ朝比奈兵衞大夫逆心なりといふよりはや, 永祿十一年十二月十三日, 三七七

  • 永祿十一年十二月十三日

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  • 三七七

注記 (17)

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