『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.286

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内大石遠江とく大剛乃武士也、二年甲州に罷有、小田原と御無事ありく, 陸奧守備より、白お羽織きたる武者一人先にすゝみ、勝頼備にむかつそ, たるゝ所を、御旗本よりの御〓使曾根内匠申やうは、〓使は此時なりと, かせく樣子一段見事なり、只今軍始まり候はゝ、彼武者討死仕たく候間, 四人勝頼備屋ゆ〓ヽ、一人は彼武者と鑓組、一人は勝頼衆に此者をう〓, 人衆頭伊藤玄蕃、あい川甚五兵衞二人、御中間頭原大隅、石坂勘兵衞以上, 北條上總衆に、鐵炮をもつて馬上よりうちおとされ、則討死、淺利人數り, 四人、如御意に仕、軍始まると同時に、彼武者を生捕、白手巾乃なかおをも, く、さいはいをとりく返す、勝頼公横入に被成候、然る所に、右侍大將淺利, つくしはり、信玄公御前にひきすゆる、其名を尋被成候へは、北條陸奧守, 〓からすとい〓、二人して脇うし海よりくみ、生捕く參れとありく、二十, 備し平めて内匠大將になり、一戰しそ北條上總衆を追くつす、馬場美濃, 人數、敵乃うし海へまはし候、此時に馬場美濃山乃上典厩のあひつを見, 三年目には北條家へ歸る、殊更其合戰山縣三郎兵衞を始、八備五千餘乃, 備乃御〓使眞田喜兵衞、馬場美濃備乃一番鑓を仕る、馬場同心去夏八幡, 永祿十二年十月六日, 淺利某戰, 死ス, 二八六

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