『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.284

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條氏康父子乃旗本を見付すは、一戰無用と〓れ申候、, て十五備、夜中に見ま瀬乃山にあかり、御定乃ことく、御旗本弓手馬手う, り大敵にそもよは敵、強敵にくも少敵にあひ〓け候故、小幡、山縣か〓ま, しに五備ぼゝとそ〓く候、典厩は小荷駄奉行乃内藤修理、さくはゆう, 沼へ押通る、其跡につゝ麦山縣押候〓は、山縣につゝき、七頭も岨傳に押, くんの山縣をはしめ、各よた所へ首尾するを見定、典厩仕相圖の貝、小旗, ををそく思ひ、道もなお所をゆ〓て人數をたて、信玄乃山よりぼたひて, し給ふ、勝頼公御備は、三枝善右衞門をこし給ふ、殘は御旗本組共にのず, 御旗本組共に、十六備を高き山へあき、りませ到下を左に見て備なされ, へ所ありて、岨つたひに押を見そは、追〓められ候故、二三町道へさかる, もつて、大方諸侍大將の定也、七日乃晩御中間頭先衆へ劣れに、明日は北, 小荷駄奉行内藤は、能小荷駄を勝、見ませ坂の道乃脇をのほる、信玄公は, 候、關東北條家の衆、弓矢の積うは氣にさたある、度々戰候へ共、氏康公よ, 次第三手の殿かり返して戰始よと、八月初に甲州にて關東國乃繪圖を, 十月八日には、信玄公か手く御定乃〓く、小幡は志田澤上乃山を岨傳に, 永祿十二年十月六日, 二八四

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  • 二八四

注記 (17)

  • 1118,727,58,1567條氏康父子乃旗本を見付すは、一戰無用と〓れ申候、
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