『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.928

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とことはり、家より下へ飛下候へは、花澤腰くなわから堀へ飛いる、其故, 其場にをひく返し候、信玄公きこしめし、四郎殿手負なさる〓きとあり, 次郎右衞門事被仰上候也、左ありて花澤城門脇〓五人つきたる衆は、四, とありて、今乃戸をわおへ押たをし立給ふ、次郎右衞門弟岡部治部、大剛, を、無理介あけられよと初鹿傳右衞門申候へは、矢鐵炮しけくして、あけ, お取、以來無理介とは名乃らすましきと申、勝頼公扱なされ、繩の羽織は, 押上る、諏訪越中はゝいそわかもちたるかま鑓をもつて〓きあけて歸、, 郎勝頼公、長坂長閑、名和無理介、諏訪越中、初鹿傳右衞門也、城のあ〓鎖子, 乃兵なれは、信玄公乃御舍弟同前に罷有ては、下々乃武士めいをしなた, く、御使をほかはされ、早々引あけさせ給ふ、越中、傳右衞門今乃鎌鑓をと, 衞門一間戸を一取寄、逍遙軒の御前にとて候へは、運乃矢と云物は遁ぬ, 岡部次郎右衞門衆猶以近取寄て、逍遙軒は其後御歸ある、信玄公へ岡部, らるゝ所にくなしと無理介挨拶也、そこにて傳右衞門立あかり、〓子を, 傳右衞門、越中兩人にて、無理の介か具足の上にきたるなは乃羽織をは, つて歸る、其後彼虎口へ信玄公奧近習あかり乃足輕大將曾根内匠、眞田, 元氣元年正月四日, 同勝頼城, 門ニ迫ル, 元氣元年正月四日, 九二八

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  • 同勝頼城
  • 門ニ迫ル

  • 元氣元年正月四日

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  • 九二八

注記 (20)

  • 1453,703,59,2120とことはり、家より下へ飛下候へは、花澤腰くなわから堀へ飛いる、其故
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