『大日本史料』 12編 30 元和四年是歳~元和五年六月 p.863

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〓あふたると仰はれば、佃承て、御諚尤に候、宵にすこしくもりたる故、雨, ざやをろけてまろり出候、夜討きびしく御座候ゆへ、はづしあへず、勝負, りとて、御ほうびありたると也、たとへくもりたるとて、雨ざやをろけて, 乃夜討乃批判有、氏郷仰けるは、佃は日比の心がけたがはず、先かけ功な, り、去なろら、すこしう推たへたると見えたり、鑓乃さやをはづさずして, つ〓の者ならば、雨ざやをろけたるとはいふへろらのるに、誠乃武士な, 持にはあら〓共、大將乃仰出さるゝ事を、相違なきやうにと存し、かくの, 衞門大夫家に有しが、吉利支丹宗旨なる故、曲事にあひたるとなり、, はりに出給ふ、或夜敵より夜討に來るず、渡し合て、是をふせぐ、扨翌日宵, をとげ候と申上れは、氏郷感じ給ひて、又右衞門は正直なる者なり、よの, の蒲生氏郷に有し比、奧にて合戰乃有し時、氏郷よな〳〵忍びて小屋ま, に又右衞門語りけるは、主君たる人の家人に逢て、萬〳〵無理なる事を, どくには申するといへり、私に云、右乃又右衞門は、氏郷遠行の後、福嶋左, 仰給ふ共、申分る事を、郎等はかたくにゝしむへきなり、其子細は、某會津, 傳へ聞て書、佃又右衞門事、大武功乃侍也、此故に、慶長の比、吉利支丹宗, 元和五年六月二日, 信ジテ誅, 郎蘇教ヲ, ニ仕フ, セラル, 蒲生氏郷, 八六三

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  • 信ジテ誅
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注記 (22)

  • 1208,709,63,2126〓あふたると仰はれば、佃承て、御諚尤に候、宵にすこしくもりたる故、雨
  • 1095,709,62,2129ざやをろけてまろり出候、夜討きびしく御座候ゆへ、はづしあへず、勝負
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