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十月十四日, 將軍の御心より、起りたる〓にてはなかりしなり、且從關東近日御上洛候, にき、義詮朝臣御上洛の後、十二月廿八日の事としたれとも、此將軍の御自, 筆の御書に、直冬朝臣に出家の事、仰下されしをおもへは、此前直義朝臣は, 平記に見えたれは、京より御上洛の事を、諸方へ仰下されしは、是も八月の, へは、關東より左馬頭義詮を急き上洛あらをて、直義に相替らす政道を申, 末か、九月の初比にてそありたんとおもふ也、それ故此状にも、近々御上洛, 間云々とは、太平記、足利義詮上洛の段に、去程に三條殿は、師直師泰か憤猶, 付、師直諸事を申沙汰すへきに定りけりと、見えたるをにして、義詮朝臣は, 解て、出家有へきよし、仰下されつらんとおもふ也, ふかきに依て、天下の政務の事口入に及はす、大樹は元來政務を謙讓し給, に鎌倉を立給ひて、同廿二日に入京したまひしよし、太, 候間と書たるなり、また直義朝臣出家し給ひし事を、太平記、直義隱遁の段, はやく政務を停られて、御出家ありし故、其〓く直冬朝臣も、中國の兵權を, されとも外には、さる證とすへきも見えされは、ましはいかかな, りけん猶考へし、直冬朝臣も、後にはま〓には、御父將軍に向ひて弓を引給, 南朝正平四年北朝貞和五年九月二十八日, ○師守記、公卿補任等二, 二月八, 據レバ、直義ノ出家ハ十, 日ナリ, 三日, ノ誤、, 南朝正平四年北朝貞和五年九月二十八日, 九八四
割注
- ○師守記、公卿補任等二
- 二月八
- 據レバ、直義ノ出家ハ十
- 日ナリ
- 三日
- ノ誤、
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- 南朝正平四年北朝貞和五年九月二十八日
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- 九八四
注記 (25)
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