『大日本史料』 6編 13 貞和5年11月~観応元年11月 p.618

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しきうへに、敢國社のことも今本, 乱世の後なれは、土民の堀崩まてになれるなるへし、さるは好問齋もい, 兼好墓あり、そのしるしに松ありし、寛文七年土民とも塚をほりクすし, り、洛西の双岡に無常所をかまへしと、みつからの家の集に記されしか, にともれたるを、正祗か抄録本, 兼好は發心のゝち此國にすみけるにやといへるさまの、いとたとたと, 〓さしをきて、陽月齋は享禄天文の頃の人なるたけれは、此頃まては彼, りの舊跡を容易に堀へき事かはと、本のことくにおさめおかれしとな, て、みれは、四面六尺はかりに刀をひしとつめ、其下に大小の瓶二ツあり, にしるししるは、彼法師の事とともに、好事の徒の僞作したる抄録本を, 寫しゝかともおもはるゝになむ、されは園太暦十八卷の眞僞はしはら, を崩せしとかめにてありしと云しを、地頭藤堂玄蕃殿聞たまひ、かはか, と、もし其頃乱世にて、かゝる所へさそらへ行れしやらむ、いと不審しき, 伊賀阿拜郡多羅尾村の内國見山に、吉田, 古墳はこゝなりとさたかにいひ傳へけるを、其後偏鄙といひ、打續きし, て、中に鏡をおさし、此ころ村中多く煩しまゝ、神子をよせてきゝしに、塚, ひ給ひつれと、新著聞集, 南朝正平五年北朝觀應元年四月八日, 觀月樓, 蹟篇、, 卷二、勝, 御本、, ルベキ無, 双岡ニア, 土民塚ヲ, 發掘ス, 常所ノコ, 寛文七年, ル疑問, ノ地ニア, 六一八

割注

  • 觀月樓
  • 蹟篇、
  • 卷二、勝
  • 御本、

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  • ルベキ無
  • 双岡ニア
  • 土民塚ヲ
  • 發掘ス
  • 常所ノコ
  • 寛文七年
  • ル疑問
  • ノ地ニア

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  • 六一八

注記 (31)

  • 1698,765,58,984しきうへに、敢國社のことも今本
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