『大日本史料』 6編 13 貞和5年11月~観応元年11月 p.949

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て、誤たるなるへし、, は、當月十六七日の比に、九州蜂起の事都へ聞えたるよし見えたれとも、今, ありし故、將軍自ら御征討あるへきと、御治定ありしと見えたり、しかれは, の御下文の趣にては、それよりはやく八月の末か、九月のはしめに、其聞え, と近き間なれは、いたく相違したるといひかさし、されとも園太暦に依る, 七日、一色飛脚到來, 廿二日御禊行幸、并大嘗會延引之由、被下院宣於方々畢云々、可爲明年なと, なして、遠方の聞をおとろかされし也、また園太暦、祇園執行日記抄なとに, 今の御状に既に近々發向とあるは、遠國の事なれは、御あらあしを實事に, に、將軍の御進發は實に十月廿八日と見えたれは、太平記の説は誤りにて、, 西兵衞佐直冬被擧義兵, 太平記の十月十三日としたるも、その比世上にはさる沙汰ありしを傳聞, りしと見え、また園太暦觀應元年十月十六日の條に、傳聞九州蜂起、, 異本太平記に、一色道猷は佐殿方に攻られて、筑前の飯守山城に引籠てあ, 、十月十一日の御状に、既所發向也とあるには、二三日の違はあれとも、い, 十九日、依鎭西蜂起、將軍執事可被發向間、來ル, 祇園執行日記にも、此事見えて、同年十月十七日、鎭, 十, ○中, ○中, ○中, 略、, 略、, 略, 園太暦及, 行日記ノ, ビ祇園執, 文ニツキ, テノ考, 南朝正平五年北朝觀應元年十月十六日, 九四九

割注

  • ○中
  • 略、

頭注

  • 園太暦及
  • 行日記ノ
  • ビ祇園執
  • 文ニツキ
  • テノ考

  • 南朝正平五年北朝觀應元年十月十六日

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  • 九四九

注記 (31)

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