『大日本史料』 6編 14 観応元年11月~観応2年4月 p.512

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けたぞ八珍の肴をまうず、三清乃酒をすゝめつゝ、同宿共もその事とれく, ゝを通て嶋崎に程なく行つき、しはらく逍遙して三酌に及ひ萬年を延に、, 後をはる〳〵と顧は、過つる大谷に當てかす見たる江路に、船一二艘あり, 隨身銀陽を懷中するもあり、或僧は山臥筒をぬきいたし、或族は田樂節を, 所も誠にゆゝしけにみえて、佛闍梵宇棟をならへ、第宅松門巷にあふる、こ, らむと申次、りのあひに大谿といひて、きこゆる迎講のところに到れり、此, 房中を走囘り、すゝあに庭上に倒伏て、おかしきけあに貴寵すれは、勢ゝろ, 譽の骨目、勝地遊覽の肝心と思へは、おなしくはまちかくて見まほしけに、, 扇ををくり遣侍りし堯暹律師とそ見なしける、同宿五六人相伴て玉樽を, に威徳たうとく體法かしこき老者出會て、ひたすらやかて請しい外、茶を, こゝ海さして道をへ麓へ之たる、それまては路次假令四五十町許もや有, うたひかけつゝ垂髮を賞翫しけれは、思乃外なる當座の遊宴をうへく、面, とみなところに、酒盛の砌串戸に漕付をり、誰なるらむと思へは、昨日乃朝, はしさかきりなし、山上をとかく逃出そ、面白く遠望しつる串戸と、當所名, 白ともいぬはかりれし、若輩共とり〳〵に歌笛乃藝を施し、舞曲乃能を盡, 南朝正平六年北朝觀應二年正月十九日, 南朝正平六年北朝觀應二年正月十九日, 五一二

  • 南朝正平六年北朝觀應二年正月十九日

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  • 五一二

注記 (18)

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