『大日本史料』 6編 14 観応元年11月~観応2年4月 p.710

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大慈院善導大師の自画の像あり、, ありて合戰す、寄手利なくして、尊氏兵庫へしりぞく, して、明應年中の人なり、今畑と成りて、字を公文やしきと云, 鳴尾山、瀧野より多加郡へこゆる道なり、, 御當家御寄附之御朱印成し下され、山僧ら香燭をかゝけ禮し奉るもの也, 瀧野古城、上瀧野にあり、赤松氏重の父政資の居城なり、七條家の末孫に, る、直義, 〔續本朝通鑑, 諸人貴之, 日乘勝、尊氏師直軍士皆離心、無勵戰之色、尊氏外睦師直、内惡之、欲誅師直與, 開基法道仙人、本尊十一面觀音、文珠堂、太子堂, 光明寺陣處、光明寺山にあり、觀應の頃足利尊氏と、舍弟直義と確執と成, 光明寺, 引尾山、光明寺より加西郡へ越る道なり, 直義和、然以師直勢強、而不得其便、故徒送數日、不謀軍事、師直未悟之、, 熊野權現, 爰に籠り、尊氏引尾山に陣を構へ、家臣高師直は鳴尾山に, 二王門、鐘堂、經藏、僧坊, 觀應二年二月辛巳朔、丁亥、光明寺城兵毎, 〔播磨名所巡覽圖會〕地加東, 崇光下後村上六, 山に峯五ツ有、故に五, 峯山といふ、眞言宗、, 百三十七, 當山, ○石塔頼, 十四, 鎭守、, 院、, 房ナリ、, 地, 内之ヲ惡, 尊氏外師, 直ト睦ビ, 光明寺, 南朝正平六年北朝觀應二年二月四日, 七一〇

割注

  • 崇光下後村上六
  • 山に峯五ツ有、故に五
  • 峯山といふ、眞言宗、
  • 百三十七
  • 當山
  • ○石塔頼
  • 十四
  • 鎭守、
  • 院、
  • 房ナリ、

頭注

  • 内之ヲ惡
  • 尊氏外師
  • 直ト睦ビ
  • 光明寺

  • 南朝正平六年北朝觀應二年二月四日

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  • 七一〇

注記 (37)

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