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〔參考〕, 大友氏泰なとへも牒し合て、太宰府を攻めんとはかりしか、其事はいか, 臣を助けて、一色大友と、合戰してありしなるへし、太平記、大原合戰の段に, 見へされは、武光らの宮方は、其時も一色大友には與せすして、結句直冬朝, て、攻たりつらんとおもふなり、しかるに、今長門より、小貳菊池を、頼まれし, とあるをおもへは、此春宮方より、一色大友と同しく、宰府を攻たりしとも, きはなれて、あるひは宮方に參り、或は一色大友に與して、直冬朝臣を立狹, 左兵衞佐直冬の、筑紫の者共に背出され、安藝周防の間に、漂泊し給ひける, 成りけんしらねとも、其後はそれまて、佐殿方したるものとも、やう〳〵背, ルコト、同二月二日ノ條ニ見ユ、, を云々、といへる折の事なれとも、十一月十二日の合戰は、いつくにての事, へさたかならす、此春一色道猷、芳野よりの仰を承て、宮へも御合力を申入、, 合戰敗績、暫住長州豐田城とは、太平記、直冬降參吉野の段にいはゆる、足利, なりしや、大かた筑前にての合戰とは覺ゆれとも、敵は誰なりしや、それさ, 〔征西將軍宮譜〕, 十一月十二日、, ○上略、園太暦文和二年正月十八日、, 記事二カヽル、既掲セルヲ以テ略ス、, 十二日合, 戰ニツイ, テノ考, 南朝正平七年北朝文和元年十一月十二日, 一九三
割注
- ○上略、園太暦文和二年正月十八日、
- 記事二カヽル、既掲セルヲ以テ略ス、
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- 十二日合
- 戰ニツイ
- テノ考
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- 南朝正平七年北朝文和元年十一月十二日
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- 一九三
注記 (23)
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