『大日本史料』 6編 21 延文元年12月~延文3年8月 p.618

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合參段半者, 々殿ニ讓渡事實也、限永代可令領知候但かう師か一期をは、おやおちと刷, 延文二年三月十日尼妙覺(花押), 田地代々手繼證文を相副て、永所奉讓渡之明白也、更雖爲子々孫々、不可成, 來まて、たのみ申候間、次第てうとの本せうもんを相副て、ひれいの子息都, 右件兩職者、自往古つかい來て、くわろんありしと申とも、今はわたんの道, て志あるへし、又讓師か子孫おは、兄弟おや子の例を刷候て、限生來あかつ, ん、候へく候、相互ニ大小事をは、身の大事と可思存候、若けうしんけうかい, 右件田地、尼妙覺相傳之私領也、然藤原氏女養子乃御契約を申によりて、彼, 筑後國三ぬまの庄の師子こうたう職并こあちさかのしやうの所職之事, 其妨、仍爲後日讓状如件。, 〔梅津文書〕, を刷候て、三ぬまのひれいの子息をは、高良〓□師のやうしとして、後々生, 讓渡田地事, 〔東寺百合文書〕, 南朝正平十二年北朝延文二年雜載, 一三十八之四十五, 西京□橋堀河, 西ノ橋爪也, 後, ○筑, ○山城, 及ビ鰺坂, 河西ノ橋, 莊所職ヲ, 京唐橋堀, 美麗子息, 筑後三沼, 尼妙覺西, 爪ノ田地, 莊勾當職, 高良講師, 都々ニ讓, ヲ讓ル, 南朝正平十二年北朝延文二年雜載, 六一八

割注

  • 一三十八之四十五
  • 西京□橋堀河
  • 西ノ橋爪也
  • ○筑
  • ○山城

頭注

  • 及ビ鰺坂
  • 河西ノ橋
  • 莊所職ヲ
  • 京唐橋堀
  • 美麗子息
  • 筑後三沼
  • 尼妙覺西
  • 爪ノ田地
  • 莊勾當職
  • 高良講師
  • 都々ニ讓
  • ヲ讓ル

  • 南朝正平十二年北朝延文二年雜載

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  • 六一八

注記 (36)

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