『大日本史料』 6編 34 応安4年閏3月~応安4年12月 p.369

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く原の持佛堂の阿彌陀佛と申なり、又小松のおとゝの本尊とて、さか佛もたゝせたまひ, 宇治の早瀬よりも猶おちたきりためり、さても穴戸豐浦の都と申侍る事は、今の赤間の, なへの崎とやらんいふめる村は、柳のうらの北にむかひたり、此關は北の山きはにちか, へし、今はそこをやかてたいりのはまともいふなり、赤まの關のにしのはしによりて、, り、其を皇后のいくさの御舟とをりかたかりけるに、御舟よそひてのち一夜のほとに、, を、のちにかの御菩提所になされて、安徳天皇の御尊影おはします、本尊は清盛公のふ, 穴のやうにて侍るに、その岸の東西に人家しけかりけり、あなとゝはさていふなりけ, よりて島となれり、此島のむかひは柳の浦とて、むかしさと内裏のたちたりける所なる, 司の關のうへのみねなりけり、海の面は八町とかやいふめり、しほのみちひのほとは、, 盛の卿女の少將のあまとかやいひける人、こゝにのこりとゝまりて、平家の跡問ける, く、家とならひて岡のやうなる山あり、かめやまとて、おとこ山の御神のたゝせたまひ, たり、其東に寺あり、阿彌陀たうといふ、安徳天皇このうらにかくれさせ給て後に、知, 關と門司の關とのあはひは、山のひとつにて、其中にわつかにしほのみちひの道はかり, 此穴戸の山引わかれて、今のはやとものわたりになりぬ、このやまさなから西の海中に, 南朝建徳二年北朝應安四年十一月二十九日, 三六九

  • 南朝建徳二年北朝應安四年十一月二十九日

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  • 三六九

注記 (16)

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