『大日本史料』 6編 41 応安7年6月~応安7年12月 p.263

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て大綱の合戰して、了俊か大軍を追退けたることあれば、, 守父祖行跡從令荷擔鎭西御大事と見へて、今とし則武朝か十二歳の時なり、父の武政, 今としの五月にかくれたりしかとも、御敵了俊かちかく筑前へ在陣したることなれは、, 御遷移ありたるをいふ、御幸といふこと親王家なとにいひたることなく、またいふへ, きことにあらす、御幸行幸なといふは天子上皇の御うへに限りたることにて、皇太子, なりては、にわかに宮方を叛きて、了俊か旗下に馳加りたるものも、いくらも出來た, ふなるへし、水嶋合戰の比まて、國人も猶宮方したる者おほかりしか、武政か死後に, といへとも行啓といひて御幸とはいはす、されとも此比になりては、かゝることみた, になくなり、武朝か世となりたるうへにて、いまたさしたる合戰とてはなかりしとい, りしなるへし、, もなかりしとはいひかたし、されはおもふに、宮たちの當國に入御ありしは、水嶋合, 戰の後今としになりて近き比に、筑後より肥後へは御遷坐ありし故、其後は武政も世, 武朝申状に、自十二歳時令勤參勤筑州大王御陣, 御所當國御幸云々とは、御所は宮并新將軍宮をさしたるにて、近比は筑後より當國に, さしたる合戰, りになりたるにや、〓廿雖無指合戰候官軍大略加敵候訖とあれとも、去年の秋水島に, ○天授元年八, ス、前ニ掲グルモノニ同ジ, ○十二月晦日付幕府御教書略, 月ノ誤リナリ、, 南朝文中三年北朝應安七年十一月十二日, 二六三

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  • ○天授元年八
  • ス、前ニ掲グルモノニ同ジ
  • ○十二月晦日付幕府御教書略
  • 月ノ誤リナリ、

  • 南朝文中三年北朝應安七年十一月十二日

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  • 二六三

注記 (22)

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