『大日本史料』 7編 1 明徳3年閏10月~応永2年3月 p.970

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定ノ代官ニ渡付ス、, てありしを、郎等石川入道覺道供して鎌倉へ參けれは、將軍大に感し、兄を, 國をたまはり、應永二年三月、關東の執事被爲補し、犬懸の先祖是也、, は左馬助朝房と號し、信濃越後を給はり、弟をは中務少輔朝宗と名付、上總, 〔長野文書〕, 惟宗某、豐後守護大友親世ノ旨ヲ受ケテ、同國古後郷内長野村ヲ長野正, 三月十五日、信濃國にて討死、其子幸松丸とて十四歳、二男幸若丸十二歳に, 日に、上杉中務少輔朝宗入道禪助を管領に補せられ、内外の政道執行はる、, 〔鎌倉管領九代記〕二上杉道合卒去, 兵庫助憲孝、心地例ならずなやみて、管領を辭退申されしかは、翌年三月九, 豐後國玖珠郡古後郷内長野村事、任御奉書并守護御代遵行之旨、長野長門, 長野長門殿御代官御方, 應永貳年三月九日惟宗〓, 山城鴨御祖社領日供料所越中寒江莊二、別納トシテ、日供及ビ夏, 殿御代官打渡所也、仍執達如件, 應永貳年三月九日, 十日、, ○〓, 後, 甲, 犬懸ノ先, 〓, 應永二年三月十日, 九七〇

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  • ○〓

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  • 犬懸ノ先

  • 應永二年三月十日

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  • 九七〇

注記 (24)

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