『大日本史料』 7編 6 応永10年正月~同11年12月 p.264

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應永十二年, たし申處也、仍法陽か子々孫々異儀あるへからす候、若此旨を違背さん輩, さり状, 令競望、依掠申、權門樣御不知案内之間、御口入候によりて、しはらく彼仁の, においては、不孝の仁として、法陽か所領を全不可知行候、仍爲後日さり状, 一爰中納言阿闍梨日傳語權門之衆、得日行圓寂之便、掠地頭下地、領大石, 如件、, かたへわたし候といへとも、もとよりの理運にまかさて、日時のかたへわ, 右富士の上方上野郷内大石寺の東坊地者、法陽か雖爲知行分之内、如本別, 當卿阿闍梨日時にさりわたし申也、但中納言阿闍梨日傳彼ひかし坊地を, 〔家中抄〕下日時傳, 寺、依之日時捧訴状於鎌倉、其状云、駿河國上野郷大石寺別當宮内卿阿闇梨, 日時謹而言上、當寺内東僧房、同別當坊敷等間事、副進一卷當所管領, 卯月十三日沙彌法陽(花押), 御目代殿, ○上, 略, 酉, 乙, 酉乙, 地ヲ日時, 法陽又同, 寺東坊ノ, ニ避渡ス, 日時守護, 日傳東坊, 望ス, ノ地ヲ競, ニ訴フ, 應永十年七月十二日, 二六四

割注

  • ○上
  • 酉乙

頭注

  • 地ヲ日時
  • 法陽又同
  • 寺東坊ノ
  • ニ避渡ス
  • 日時守護
  • 日傳東坊
  • 望ス
  • ノ地ヲ競
  • ニ訴フ

  • 應永十年七月十二日

ノンブル

  • 二六四

注記 (31)

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