『大日本史料』 7編 20 応永21年4月~同年12月 p.22

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〔新撰美濃志〕, 應永五年戊寅八月十日, と見へたり、古銘ハ鎌倉二位の尼の建立、新銘ハ應永再興の修補の銘なりといふ、, 頭頼清よりこのかた、池田郡にすミし故、池田を家號とす、頼盆尾張の萱津にうつりすみて、, 軍家大將拜賀之時供奉後陣、號萱津、法名常保、道號壽岳、號興善寺と見へたり、祖父左馬, 萱津をも名のる、應永二年、從四位下に敍し、左京大夫に任す、同六年、大内義弘陰謀の時、, これを鎭め、また兄頼康の子康行、その子康政、將軍の命にそむしをうち果したる賞により、, 土岐の惣領となり、美濃の守護に補し、河手に在城す、南方紀傳に、南朝の元中五年, は、分脈系圖に、池田美濃守源頼忠子頼盆、於尾州古井・濃州高桑并牧城等數ケ度亡敵、將, 大工河内國高大路家久, 河手ノ古城は、土岐大膳大夫頼康、當郡長森の城にありしか、その地狹くして要害あし, かりけれは、こゝに城をきつきてうつれり、, 土岐美濃守頼盆, 源盛光沙彌道順, 勸進聖, 應永二十一年四月四日, 下川手村, ○上, 沙彌淨阿彌、, はしめの名池田二郎、從四位下に, 沙彌妙全、, 敍し、萱津左京太夫とも名のる、, 十六厚見郡下, ○中, 略, 略, 敬, レ〓朝の, 嘉慶一, 白, 略, 下, 應永二十一年四月四日, 二一

割注

  • 下川手村
  • ○上
  • 沙彌淨阿彌、
  • はしめの名池田二郎、從四位下に
  • 沙彌妙全、
  • 敍し、萱津左京太夫とも名のる、
  • 十六厚見郡下
  • ○中
  • レ〓朝の
  • 嘉慶一

  • 應永二十一年四月四日

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  • 二一

注記 (34)

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