『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.281

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

らひとる道筋、〓に城より出る所を勘辨し、今乃萱木をぽ〓せ、貝をなら, 是を小田原氏康父子誠と思ひ、信玄鎌倉へ越候はゝ、跡より取つゝみ武, に火付させ、少ありて後、松田屋敷を懸火をかけ燒拂ひ申候、馬場美濃か, 生捕に問給へは、彼到下を取きる衆は、北條陸奧守、同舍弟安房守、其外忍, 申訓、馬場美濃守は、馬乘十騎、足輕三十つれ候て、松田屋敷のきはへゆき、, 行を信玄公御悦喜被成候也、以上、, を出そくひとむる事なし、さありく信玄公見ませすちの樣子を在々の, 田勢を一人も殘さす討取申へしとて、信玄公のた給ふに、北條衆小田原, 衆、須谷衆、江戸川越衆、碓氷、さくら、こか手、岩付、玉繩乃北條上總守如此、北, 濃かたへ持くより、馬場にわたせと御意なされ候へと申に付、むかて乃, 被成候て、田村大かみと云所に陣取、鎌倉鶴岡へ社參有へきとの沙汰也、, 一信玄公小田原表利運に被成、十月六日に引取給ふ事、四郎勝頼陣かりを, し候聲をきゝ候はゝ、火を付よと、奉行に置者共を一所へよひ、其理究を, 鉄炮をうち候へ共、屋敷に人聲なけれは、だこにて貝を吹立、口々乃萱木, 衆、或廿人衆頭、御中間頭に劣れさせ、則時に萱木を持よる、小田原町燒は, 敷ヲ燒ク, 憲秀ノ屋, 信春松田, 信玄軍ヲ, 班ス, 永祿十二年十月六日, 二八一

頭注

  • 敷ヲ燒ク
  • 憲秀ノ屋
  • 信春松田
  • 信玄軍ヲ
  • 班ス

  • 永祿十二年十月六日

ノンブル

  • 二八一

注記 (22)

  • 1670,718,62,2133らひとる道筋、〓に城より出る所を勘辨し、今乃萱木をぽ〓せ、貝をなら
  • 739,723,60,2126是を小田原氏康父子誠と思ひ、信玄鎌倉へ越候はゝ、跡より取つゝみ武
  • 1204,725,62,2120に火付させ、少ありて後、松田屋敷を懸火をかけ燒拂ひ申候、馬場美濃か
  • 379,723,63,2124生捕に問給へは、彼到下を取きる衆は、北條陸奧守、同舍弟安房守、其外忍
  • 1440,720,62,2145申訓、馬場美濃守は、馬乘十騎、足輕三十つれ候て、松田屋敷のきはへゆき、
  • 1088,722,59,1000行を信玄公御悦喜被成候也、以上、
  • 498,729,58,2120を出そくひとむる事なし、さありく信玄公見ませすちの樣子を在々の
  • 617,726,61,2122田勢を一人も殘さす討取申へしとて、信玄公のた給ふに、北條衆小田原
  • 263,724,65,2120衆、須谷衆、江戸川越衆、碓氷、さくら、こか手、岩付、玉繩乃北條上總守如此、北
  • 1895,718,63,2126濃かたへ持くより、馬場にわたせと御意なされ候へと申に付、むかて乃
  • 852,720,61,2141被成候て、田村大かみと云所に陣取、鎌倉鶴岡へ社參有へきとの沙汰也、
  • 974,671,59,2182一信玄公小田原表利運に被成、十月六日に引取給ふ事、四郎勝頼陣かりを
  • 1554,722,64,2132し候聲をきゝ候はゝ、火を付よと、奉行に置者共を一所へよひ、其理究を
  • 1325,719,63,2130鉄炮をうち候へ共、屋敷に人聲なけれは、だこにて貝を吹立、口々乃萱木
  • 1781,722,65,2116衆、或廿人衆頭、御中間頭に劣れさせ、則時に萱木を持よる、小田原町燒は
  • 1395,291,43,167敷ヲ燒ク
  • 1438,292,41,169憲秀ノ屋
  • 1486,291,39,165信春松田
  • 1003,293,44,160信玄軍ヲ
  • 960,294,41,72班ス
  • 161,730,45,380永祿十二年十月六日
  • 167,2442,46,107二八一

類似アイテム