『大日本史料』 10編 1 永禄11年8月~同12年2月 p.886

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信玄公衆は侍大將衆一二三より十迄と公事取にして、其次々〓渡し、ひと, も寒く候と申者もあり、そこにて信玄公被仰、平地にをひて酒をのみくさ, たりとし、人は山の麓へ下そ可在之候、氏康衆乃武邊、輝虎と十八年取あひ, 玄公かしこお御智略の故なり、其後日々夜々に北條衆、武田衆せりあひ申, へ寒〓に、いはんや山の上なる氏康衆、酒ものますして高所に陣屋はかけ, は一二人ありて、本乃人皆麓へおりくゐたるゆへ、如何にも安々と陣屋を, 日許戰く、さのみなかく氏康と謙信と對陣有事れし、さありて上杉家は大, 付よと被仰付候て、甲州勢先衆薩〓山へ攻あかり見れは、まことに陣屋に, れ候、氏康衆つゐに甚敷敵にあはすして油斷可仕候間、只今のみたる酒の, 候へ共、輝虎本國越後と小田原ほと遠ぎれは、一年に一度つゝ出合、五日十, 破、其上小田原先衆乃武具馬具鑓結句代物なと、甲州武田かたへ取候は、信, て寒き事なおかと仰らるゝ、諸人寒お事御座なきと申者もあり、こまにそ, 覺さる内に、北條家乃先衆かけたる陣屋を破、あふなけもなく敵に一しほ, 敵といひなから、大將の則政よはけれは、武道不案内故、氏康に武略をせら, 手きりの足輕せりあひなり、或時跡部大炊助足輕番にあたり、馬場、内藤、小, 勝資ノ苦, 攻メ上ル, 薩堆山ニ, 信玄ノ兵, 戰, 永祿十二年正月二十六日, 八八六

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  • 勝資ノ苦
  • 攻メ上ル
  • 薩堆山ニ
  • 信玄ノ兵

  • 永祿十二年正月二十六日

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  • 八八六

注記 (22)

  • 254,670,70,2201信玄公衆は侍大將衆一二三より十迄と公事取にして、其次々〓渡し、ひと
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