『大日本史料』 10編 24 天正2年8月~9月 p.195

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川中よりひきかへす、是を見て家康衆、勝頼公の御こばた大の字を見しり、御旗本を, し候所に、家康衆もの見に出たる武者三拾騎ばかり、くつばこをそろへ、しもへ乘お, 原五郎作・長谷川左近三騎、板垣衆のもどりたる瀬へ乘いれ、川を渡ス、勝頼公川上ニ, 心がけ候故、又かミへのりむかふ、然所に、朝比奈駿河守衆の中よりすとう左門・石, て是を御覽なされ、土屋惣藏に仰らるゝは、はじめ板垣衆かなわずしてひき返したる, 濱松へ御はたらきなり、折節大てんりうの川出候て、武田勝頼公御人數越ス事ならず, たる三十騎ばかりへうちかけなされ候へども、ほどとおく候故、敵武者にあたる事な, ろし、右の板垣衆五騎にたちむかふべきと見ゆる故、さすがにすゝこたる五騎の武者, けい・志村かね右衞門・平原新藏・川野傳左衞門、此五騎ぬき出、馬を河へ乘こミ渡, し、左候て、五町ばかりしもにひろき瀬の有リて見得たるへ、板垣衆の中より宇野・た, 大物見に出ル、勝頼公御旗本は、こつけのかうよりおりくちのせを御心がけ有リて、備, して、河のほとりに備をたて、あさきせを見きりたまふに、家康衆三拾騎はかりュて, をたてたまひ、なんばいつほさいをめして、鐵鉋を以テ、川むかひの濱松衆物見に出, 一、同年戌九月、長坂長閑分別いたしていさめ申ス故、勝頼公尤と仰られ、九月半ニ遠州, 天正二年九月七日, 一九五

  • 天正二年九月七日

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  • 一九五

注記 (16)

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