『大日本史料』 12編 13 慶長十八年九月~同十九年四月 p.595

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三拾騎、此在番衆貳百八十騎は出候事無用なり、其外罷出候者は、かねく山, に出たる騎馬乃數は、三千七百廿七騎也、其後若を衆數多寄合、此度乃馬揃、, 催うしなるに、かく俄に御歸城き、いか樣の御氣色にて御座候やと心元な, く思ひ字れは、我も〳〵と一騎山形え馳付所に、今日の馬揃御延引、心許な, をしらす、義光公も、卯の上刻に御出有、御供にき近習衆小性、并に日讀番の, 中ゟ、器量乃若者三十騎抜出のれ、一樣に唐織乃羽織をきを召連給ひけり、, 〓てゟ乃御催うし成けれは、聞傳に、近國ゟ集りたる見物人、幾千万と云數, き事には有さる間、各御〓に任を、私宅え歸りたり、其日山形乃帳に付、馬揃, 形え參り、御帳に付可申由御觸有けれは、御旗本は申に及はす、家中乃者迄、, 爰を晴と用意し、則子の刻に罷出、寅刻ゟ天童原に相詰ける、されは此事か, 歸城被出たる、去間、集まりゐたる貴賤不審し、抑此馬揃は、數月已前ゟの御, 慶長十二年正月十五日に被仰出は、來る四月、於天童原馬揃可有間、直衆は, 城豐前を初め、堺目の城主、并に鶴か岡に百五拾騎、龜か崎に百騎、寒川江に, 御定の如く、城持ゟ乘初めんとしたる所に、今日は延引有へしとて、俄に御, 申に及はす、家中乃者すて候、日來馬を嗜み候者は、殘らす罷出申へし、但、本, 慶長十九年正月十八日, 五九五

  • 慶長十九年正月十八日

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  • 五九五

注記 (17)

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