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慶長五年、奧州, 大權現の麾下にあるゆへ、根來百人衆を附屬す、今年石田滅亡し、天下御一統のゝち、板, 吉例たるにより、一齋を先武州鉢形の城に入たまふ、こゝにをひて、武河根來衆をつけ, 進發ありて、眞田表に御陣をとりたまふ、此時仰をかうふり、役所を配分す、長子正成は, 地二千百石をたまわる, 陣の時、大權現の仰によりて、台徳院殿につかへたてまつり、御旗奉行となる、時に石田, 三成もまた謀叛し、上方蜂起するにより、台徳院殿御馬をかへしたまひ、中山道より御, られ、北武藏の制法を定、且又七萬石の御代官をつとむ、武州ならひに江州にをひて、采, き、又甲府に留守をつとむ、同年七月、小田原沒落し、大權現關東を領したまふ時、甲州の, 同十八年、小田原陣のと, の士六十騎をして幕下に屬せしむ、七月、東照宮新府にいらせたまひ、北條氏直もまた甲信を略せんと、四万餘の兵, ろ、武川の士御味方に屬せむとならハすみやかに人質を獻すへしとの仰により、兩人武川にかへり、諸士の質をた, を率ゐ、信濃國を歴て、新府のあたりに軍をすゝむるといへとも、御味方の隊伍正しきを見て退き、若御子に陣をと, 甲府の衆を鎭むへしとの台命をうけたまはり、各彼地に赴き、康高は市川にあり、正一ハ正綱等とゝもに古府中に, てまつりしかは、これを遠江國桐山に置る、このとし右府事あるのゝち、甲府の庶民等、領主河尻肥後守秀隆を殺ー, て、騷動に及ひしかは、正一、定好をよひ岡部正綱、穴山衆等は案内をしれるものなれはとて、大須賀康高に副られ、, り、對陣すること凡數十日、このときにあたり、正一、北條か忍のもの二人を生捕、陣中にをいて磔にす、十二月二十, ありて、先方の士を招て、御味方に加はらしむ、この時米倉、折井等もまた仰をうけたまはりて、甲府にかへり、武川, 一日、平岩親吉をして甲府の郡代たらしめ、正一、定好等、奉行職となりて國政を沙汰し、これより彼地に在住する, こと凡九年に及ふ、これよりさき、秋葉寺にをいて、御味方に屬する所の甲信兩國の諸子誓詞をたてまつるのとき、, 近江國坂田、三郡のうちにをいて、二千百石の地を賜ふトアリ, せし書、信玄か詩稿等を得るにより、すなはち濱松にいたりてこれを獻すトアリ, ○寛政重修諸家譜成瀬正一譜ニハ、武藏國榛澤、な那〓〓〓ナ, 大番六備の作法を記せし書、及ひ分國の仕置法度の式目九十九箇條、其外軍伍を記, 正一、定好とおなしく、このことを奉行す、十三年、根來法師等百人を預けらる、今これを根來同心といふ、この, し、淺井雁兵衞道多を御使として仰下さるゝむねあるにより、正一、すなはちあまねく國中をたつねて、信玄か旗下, こと凡九年に及ふ、これよりさき、秋葉寺にをいて、御味方に屬する所の甲信兩國の諸子誓詞をたてまつるのとき, おふずま, この内の来地、, 一日、平岩親吉をして甲府の郡代たらしめ、正一、定好等、奉行職となりて國政を沙汰し、これより彼地に在住する, はんは, ありて、先方の士を招て、御味方に加はらしむ、この時米倉、折井等もまた仰をうけたまはりて、甲府にかへり、武川, ヽ男衾、, り、對陣すること凡數十日、このときにあたり、正一、北條か忍のもの二人を生捕、陣中にをいて磔にす、十二月二十, てまつりしかは、これを遠江國桐山に置る、このとし右府事あるのゝち、甲府の庶民等、領主河尻肥後守秀隆を殺ー, 正, 形城ニ居, 家康一齋, ヲシテ鉢, ラシム, 元和六年雜載, 三二五
割注
- 近江國坂田、三郡のうちにをいて、二千百石の地を賜ふトアリ
- せし書、信玄か詩稿等を得るにより、すなはち濱松にいたりてこれを獻すトアリ
- ○寛政重修諸家譜成瀬正一譜ニハ、武藏國榛澤、な那〓〓〓ナ
- 大番六備の作法を記せし書、及ひ分國の仕置法度の式目九十九箇條、其外軍伍を記
- 正一、定好とおなしく、このことを奉行す、十三年、根來法師等百人を預けらる、今これを根來同心といふ、この
- し、淺井雁兵衞道多を御使として仰下さるゝむねあるにより、正一、すなはちあまねく國中をたつねて、信玄か旗下
- こと凡九年に及ふ、これよりさき、秋葉寺にをいて、御味方に屬する所の甲信兩國の諸子誓詞をたてまつるのとき
- おふずま
- この内の来地、
- 一日、平岩親吉をして甲府の郡代たらしめ、正一、定好等、奉行職となりて國政を沙汰し、これより彼地に在住する
- はんは
- ありて、先方の士を招て、御味方に加はらしむ、この時米倉、折井等もまた仰をうけたまはりて、甲府にかへり、武川
- ヽ男衾、
- り、對陣すること凡數十日、このときにあたり、正一、北條か忍のもの二人を生捕、陣中にをいて磔にす、十二月二十
- てまつりしかは、これを遠江國桐山に置る、このとし右府事あるのゝち、甲府の庶民等、領主河尻肥後守秀隆を殺ー
- 正
頭注
- 形城ニ居
- 家康一齋
- ヲシテ鉢
- ラシム
柱
- 元和六年雜載
ノンブル
- 三二五
注記 (42)
- 748,2469,55,353慶長五年、奧州
- 286,688,60,2133大權現の麾下にあるゆへ、根來百人衆を附屬す、今年石田滅亡し、天下御一統のゝち、板
- 977,685,57,2137吉例たるにより、一齋を先武州鉢形の城に入たまふ、こゝにをひて、武河根來衆をつけ
- 402,689,60,2130進發ありて、眞田表に御陣をとりたまふ、此時仰をかうふり、役所を配分す、長子正成は
- 748,689,55,567地二千百石をたまわる
- 633,686,57,2135陣の時、大權現の仰によりて、台徳院殿につかへたてまつり、御旗奉行となる、時に石田
- 517,690,61,2133三成もまた謀叛し、上方蜂起するにより、台徳院殿御馬をかへしたまひ、中山道より御
- 864,690,57,2135られ、北武藏の制法を定、且又七萬石の御代官をつとむ、武州ならひに江州にをひて、采
- 1092,690,56,2125き、又甲府に留守をつとむ、同年七月、小田原沒落し、大權現關東を領したまふ時、甲州の
- 1207,2230,56,592同十八年、小田原陣のと
- 1651,689,46,2128の士六十騎をして幕下に屬せしむ、七月、東照宮新府にいらせたまひ、北條氏直もまた甲信を略せんと、四万餘の兵
- 1928,690,46,2111ろ、武川の士御味方に屬せむとならハすみやかに人質を獻すへしとの仰により、兩人武川にかへり、諸士の質をた
- 1581,689,46,2126を率ゐ、信濃國を歴て、新府のあたりに軍をすゝむるといへとも、御味方の隊伍正しきを見て退き、若御子に陣をと
- 1766,684,46,2128甲府の衆を鎭むへしとの台命をうけたまはり、各彼地に赴き、康高は市川にあり、正一ハ正綱等とゝもに古府中に
- 1882,689,47,2122てまつりしかは、これを遠江國桐山に置る、このとし右府事あるのゝち、甲府の庶民等、領主河尻肥後守秀隆を殺ー
- 1810,689,47,2127て、騷動に及ひしかは、正一、定好をよひ岡部正綱、穴山衆等は案内をしれるものなれはとて、大須賀康高に副られ、
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- 1882,689,47,2122てまつりしかは、これを遠江國桐山に置る、このとし右府事あるのゝち、甲府の庶民等、領主河尻肥後守秀隆を殺ー
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