『大日本史料』 7編 23 応永22年9月~同年雑載 p.56

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ねり、おなしく御馬の左右につく、布衣侍十人、五人つゝ兩方にあり、下臈の隨身六人、, つゝ左右にあゆふ、左右の番長、御馬つき毛ふちの口をはる、居飼・みまや舍人・そへと, や、されは、寛弘の例にもなそらへられたるにこそ、さても、このたひ御馬副に瀧口な, 御馬のうしろに左右ニあひわかりてあゆむ、御馬のかさり・からくらのくそくなと、み, くは御そくたい、つねのことし、かさたち・しゆむはうの帶・魚袋、この行かう供奉の, まひし事は申におよはす、かやうにたゝ大臣兵仗にて御供奉の事は、れいもまれなるに, もちゐられけるとかや、いつれも廿二三の攝政・關白也、大かたあたりをはらひたる御, たんかとにてこそあるに、いとめつらかにうつくしく見ゆ、これはしゆくとくの大臣の, とをこそめしくせらるへきに、一かう御馬そへをとゝめられたる事、いかやうのしさゐ, にて侍るにや、永徳に鹿苑院殿御馬副をりやくせられける、その御れいとかやとそき」, 公卿みなこれにおなし、御平緒はむらさき地, な金銀にて此たひしんてうせられたれは、すへて目もかゝやくはかりなり、御しやうそ, いきおひいまさらなり、永徳のたひ、鹿苑院殿左大臣の右大將にて本陣に供奉せさせた, わかき時もちゐらるゝれいありとて、關白よりまいらせられたるとそうけ給はる、寛元, に圓明寺攝政、暦應にのちのふんたりけ院の關白も、おなしく御禊の行幸に此ひらをゝ, なり、つねにはこんちむらさき, 應永二十二年十月二十九日, きなるぬいも, の、はんゑ, 五六

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注記 (20)

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