『大日本史料』 7編 25 応永23年8月~同年雑載 p.90

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出仕いたしけるか、存命不定のよし候てこそ歸宅せしと被仰ける、將監それは謀反の, にて馳來、禪秀入道、新御堂殿并持仲公をすゝめ申、御所をも取籠奉り、唯今是へも, に亂候と申ける、持氏はさはあらし、禪秀は以の外に違例のよし聞召、今朝一男中務, 濃守・梶原能登守・江戸遠江守・三浦備前守・高山信濃守・今川三河守・同修理亮, 計事に虚病仕候、只今御所中へ敵亂入候はん、分内せはく防に馬のかけ引不可叶、一, たまふ、御供には一色兵部太輔・子息左馬介・同左京亮・讚州兄弟掃部助・同左馬, 百余騎、安房守憲基はゆめにも是をしらす酒宴してをわしける、上杉修理大夫卅騎計, 固しける間、岩戸の上の山路を廻り、十二所にかゝり小坪を打出、前濱を佐介入らせ, 馬助・二階堂・小瀧・完戸大炊助・同又四郎・小田宮内少・高瀧次郎以下御供人々五, 板倉式部丞・香河修理亮・畠山伊豆守・筑波源八・同八郎・藥師寺・常法寺・佐野左, 尉・新田の一類・田中・木戸將監滿範・那波掃部助・嶋崎大炊助・海上筑後守・同信, 間途御出あり、佐介へ御入候へと申程こそ有けれ、御馬にめし、塔辻は敵篝を燒て警, 介・龍崎尾張守・嫡子伊勢守・品川左京亮・同下總守・梶原兄弟・印東次郎左衞門, 發向する處、かやうにゆふ〳〵と渡らせたまふそやと呼りけれは、憲基は少もさわか, 應永二十三年十月二日, 持氏ニ從フ, 人々, 應永二十三年十月二日, 九〇

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  • 持氏ニ從フ
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  • 應永二十三年十月二日

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  • 九〇

注記 (19)

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