『大日本史料』 7編 25 応永23年8月~同年雑載 p.349

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にて、同五年正月十三日崩御なりぬ、, の事ともさたありて、御百ケ日過れは、やかて長講堂領・法金剛院領・〓田社領・播, は禁裏御管領あるへし、但末代兩方御治天あらは、正統に付て伏見殿の御子孫御管領, あるへきよし申おかる、しかれとも親王登極の御先途を遂られねは、ちからなき次第, なり、かくて同年五月に萩原殿の前坊ほう御なりぬ、, おほよそ長講堂・法金, 長講堂領の外にて、代々の御讓状各別なれは、國衙をもやかて返申さる、, 磨國衙以下、悉禁裏へめされぬ、あまりになさけなき次第、申せはさらなり、しかれ, は忽に御罕籠のあいた、親王やかて御出家あり、, 准后聞披かれて、室町院領ツ七ケ所と萩原の御所とを伏見殿へ進らる、又播州國衙は, 剛院領の事は、光嚴院御置文に、親王踐祚あらは直に御相續あるへし、もししからす, あり、始終は伏見殿御管領あるへきよし、前坊御在世の時、法皇へ申おかる、此子細, 遺勅にて崇光院と申、いつしか御領, かくて應永四年の冬より御惱, 三年十一月卅日上皇は法皇にならせ給、, 同別納十ケ所おなしくまいらせらる、, かの御領ともは室, おほよそ國衙, 御遺領なり、前坊御一期の後には宗領に返付らるへきよし、光嚴院御置文, 町女, 應永二十三年十一月二十日, 崇光院, 國衙の奉行職, 一十六日條參看、, ○應永五年五月, ○中略、明徳三年十, 十四日條參看、, ○應永五年正月, 十三日條參看、, は、光嚴院の, 十六日條參看、, 一月三十日條參看、, ○應永五年五月, ○應永五年十月, 御時、勸修寺朝恩に拜領し, て、御年貢を執沙汰申なり、, 院御女, 後堀川, 領ヲ御相續, 直仁親王御, 遺領至町院, アラセラル, 御出家, 播磨國衙領, 應永二十三年十一月二十日, 三四九

割注

  • 國衙の奉行職
  • 一十六日條參看、
  • ○應永五年五月
  • ○中略、明徳三年十
  • 十四日條參看、
  • ○應永五年正月
  • 十三日條參看、
  • は、光嚴院の
  • 十六日條參看、
  • 一月三十日條參看、
  • ○應永五年十月
  • 御時、勸修寺朝恩に拜領し
  • て、御年貢を執沙汰申なり、
  • 院御女
  • 後堀川

頭注

  • 領ヲ御相續
  • 直仁親王御
  • 遺領至町院
  • アラセラル
  • 御出家
  • 播磨國衙領

  • 應永二十三年十一月二十日

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  • 三四九

注記 (46)

  • 1750,670,60,934にて、同五年正月十三日崩御なりぬ、
  • 1627,676,61,2177の事ともさたありて、御百ケ日過れは、やかて長講堂領・法金剛院領・〓田社領・播
  • 1119,671,62,2181は禁裏御管領あるへし、但末代兩方御治天あらは、正統に付て伏見殿の御子孫御管領
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