『大日本史料』 7編 27 応永24年2月~同年8月 p.200

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馳來り、岩松を中にとりこめたりけれは、主從四騎、四角八方に切てまはる、手負死人, 十三日龍の口に引出され誅せられけり、, 廿餘騎に及ひしかは、舞木いふやう、只四人の敵を、此大勢にてとりこめ切合たゝかふ, 故にこそ人數も損すれ、をしならへて引くみ、折かさなりていけとりにせよと下知しけ, る所を透間なく組たりけるを、物の數ともせす、山本をかいつかんて、さけ切にせし所, 万化して時をうつす、中村か郎等山本市之丞といふもの、岩松か馬のもろひさ薙て、落, 殿仰せけるは、武勇力量すくれたる者なれは、たすけ置へしといへ共、日來をのれか武, を、舞木か兵とも馳あつまり、手とり足とり生捕しかは、三騎の郎等も、深手あまた負, れは、岩松聞つけて、敵にくまれしと、馬の足を一所にためす、馳とをり切ぬけ、千變, 力に慢して、諸將に無禮の振舞をいたし、猶此後も亂をおこすへき者なりとて、閏五月, てみな敵にくまれ、さしちかへて死けり、軍散して岩松を鎌倉にまいらせたり、左馬頭, 井宗綱ハ、薙髮シテ下野入道宗徹ト名乘、, 同年五月十三日、岩松治部大夫、武州入間川ニテ中村彌五郎時貞ニ生捕レテ誅セラル、, 〔浪合記〕, ○吉澤彦五, ○上, 下略, 郎氏藏本, 家ス, 桃井宗綱出, 應永二十四年閏五月十三日, 二〇〇

割注

  • ○吉澤彦五
  • ○上
  • 下略
  • 郎氏藏本

頭注

  • 家ス
  • 桃井宗綱出

  • 應永二十四年閏五月十三日

ノンブル

  • 二〇〇

注記 (22)

  • 1818,647,62,2250馳來り、岩松を中にとりこめたりけれは、主從四騎、四角八方に切てまはる、手負死人
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