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被行之、舊院御遺骨被奉納所々、深草法華堂、天童寺, 泉涌寺、安樂光院とあり、此天王寺の小註難波浦と記されたるを聞傳へて、, 小註に難波浦とあるも、天王寺の邊なる難波浦に御殘骨、御灰なとを沈め, らさりしなるへし、奈良なる大乘院尋尊の自筆日記に、文明三年正月、一、依, 天王寺, 檢出ざりしも、當時は殊に世の亂れはなはたしくて、さる〓も出來得へあ, 先規とは御沙汰ありしにはあらさる歟、思ふに深草法華堂、天童寺と記し、, す、さて此沈難波浦之由、有先規之樣有其沙汰、雖然其記不擇出といへき、後, 奉りたるにはあらさるの、天王寺はもとより名高き寺なれは、別に難波浦, とことわるへき謂れなきをや、依て恐惶もかくは考へ奉るなり、その記を, 々、又奉入安樂光院之由承及者也、廿六日後光嚴院素服輩除服可從事宣下, 事如之, 天下大亂中、御藥以下節會一切無之、如此兩三ケ年儀也、主上、法皇御一所室, 光嚴院天皇御葬送を記せる外記中原師夏記、應安七年正月廿八日酉下剋、, 於柳原殿崩御、此間種々御祈祷等有之、雖然終以御事、天下歎何, 寺奉迎云々、此外御拾骨之時奉渡深草殿、藤中納言忠光卿奉懸頸、被奉入云, 高野山、, 三月廿二日、故院御遺骨自泉涌寺被渡嵯峨金剛院、彼長老參泉涌, 新院, 金剛, 難波, 彌仁、御, 卅七、, 浦, 院、, 略, 中, 御殘骨ヲ, 沈ムト云, フ説ニツ, 難波浦, イテノ考, 文明三年二月五日, 四〇四
割注
- 金剛
- 難波
- 彌仁、御
- 卅七、
- 浦
- 院、
- 略
- 中
頭注
- 御殘骨ヲ
- 沈ムト云
- フ説ニツ
- 難波浦
- イテノ考
柱
- 文明三年二月五日
ノンブル
- 四〇四
注記 (34)
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