『大日本史料』 8編 4 文明2年雑載~同3年11月 p.827

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

燃上る、此故に絶頂より白雲を蒸すの如く煙氣常に立登る、譬へは青漆の, 盤上に香爐を置たるか如し、此嶽蒼海の中に秀出せな故に、數十里の外よ, また其確證を得に、今專ら櫻島を以て稱するに就て種々の説あり、, なるを南嶽といひ、北ななを北嶽といふ、昔は此兩巓に兩社あり、, りも遠く見えて、其景色乃秀拔無雙なること、群山の得て比すへきに非す、, 隅兩國裏海の中心より屹立して天半に秀しり、往古より炎火ありて時々, 〓く、白水、御鉢の中央凹なる所を兩中といふ、此所池にて水常に滿涸あり, 誠に薩摩の名嶽にして、筑紫の芙蓉とも稱すへし、嶽の頂上に二峰あり、南, 又絶頂に三の池あり、南岳にあるを白水と名つ〓、北岳にあるを御鉢と名, 矣、南北亦然、故名之曰向島云々とあるき、古來よりさる傳乃ありしにや、い, 櫻島嶽當島の中央にあり、登渉して巓に至るに、高さ二里許なり、薩摩大, て海潮に應す、又南嶽の巓に一鉾を建つ、初め永正六年五月十五日釋天祐, 元祿十年釋覺慧日州記行に曰、在東而觀之山亦向東、在西而觀之山亦向西, せす、故に是を建て鎭火を祈りしといふ、其後星霜を歴て其鉾折れたり、是, 一鉾を建つ、眞鍮を以て作る、相傳ふ、文明中此嶽炎上して炎火滅, 舊福昌〓, 十一世主, 今は嶽下, ○下, にり、, 略, 櫻島嶽, 銅鉾, 文明三年九月十二日, 八二七

割注

  • 舊福昌〓
  • 十一世主
  • 今は嶽下
  • ○下
  • にり、

頭注

  • 櫻島嶽
  • 銅鉾

  • 文明三年九月十二日

ノンブル

  • 八二七

注記 (25)

  • 1312,632,61,2215燃上る、此故に絶頂より白雲を蒸すの如く煙氣常に立登る、譬へは青漆の
  • 1194,634,62,2217盤上に香爐を置たるか如し、此嶽蒼海の中に秀出せな故に、數十里の外よ
  • 1661,637,64,2021また其確證を得に、今專ら櫻島を以て稱するに就て種々の説あり、
  • 843,643,62,1937なるを南嶽といひ、北ななを北嶽といふ、昔は此兩巓に兩社あり、
  • 1077,643,62,2227りも遠く見えて、其景色乃秀拔無雙なること、群山の得て比すへきに非す、
  • 1428,632,60,2214隅兩國裏海の中心より屹立して天半に秀しり、往古より炎火ありて時々
  • 608,640,62,2218〓く、白水、御鉢の中央凹なる所を兩中といふ、此所池にて水常に滿涸あり
  • 959,638,63,2225誠に薩摩の名嶽にして、筑紫の芙蓉とも稱すへし、嶽の頂上に二峰あり、南
  • 725,641,63,2218又絶頂に三の池あり、南岳にあるを白水と名つ〓、北岳にあるを御鉢と名
  • 1779,636,60,2216矣、南北亦然、故名之曰向島云々とあるき、古來よりさる傳乃ありしにや、い
  • 1544,639,61,2215櫻島嶽當島の中央にあり、登渉して巓に至るに、高さ二里許なり、薩摩大
  • 490,634,64,2226て海潮に應す、又南嶽の巓に一鉾を建つ、初め永正六年五月十五日釋天祐
  • 1897,634,60,2220元祿十年釋覺慧日州記行に曰、在東而觀之山亦向東、在西而觀之山亦向西
  • 259,642,63,2214せす、故に是を建て鎭火を祈りしといふ、其後星霜を歴て其鉾折れたり、是
  • 373,942,66,1909一鉾を建つ、眞鍮を以て作る、相傳ふ、文明中此嶽炎上して炎火滅
  • 404,643,42,256舊福昌〓
  • 359,645,43,255十一世主
  • 878,2594,43,252今は嶽下
  • 1695,2662,41,110○下
  • 840,2595,33,189にり、
  • 1656,2661,37,41
  • 1550,272,43,129櫻島嶽
  • 497,272,44,87銅鉾
  • 153,711,46,385文明三年九月十二日
  • 158,2441,47,124八二七

類似アイテム