『大日本史料』 8編 11 文明10年是歳~同11年12月 p.240

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れとも、兩總州の士大形自胤へ歸服しける間、先長陣なれは歸陣有へしと, 落城して、海上備中守師胤も、同しく自胤へ降參す、自胤千葉へ入部はなけ, 〔鎌倉大草子〕, 明れは文明十一年正月十, も勢をわけ、上總の國長南の城主武田三河入道をせめけれは、七月五日に, て、七月十五日、陣拂の體を見て、城より切て出きれは、太田圖書助資忠取て, 降參して、自胤に歸服す、丸ケ谷の上總介も、同自胤へ降參す、下總國飯沼も, にて攻戰ふといへとも、寄手は小勢にて叶はす、管領御馬をよせられ可然, 敗北すといへとも、味方も長陣に勞し、つゝいても責入らす、自胤は石濱ま, らへし攻戰けるか、付入に打て入、城を終に責落す、しかれとも太田圖書助, 由望といへとも、是も延引し、敵は要害能して、力責に難落、しか刺といへと, 資忠を初め、僧中納言、佐藤五郎兵衞、桂縫殿助以下五十三人討死す、孝胤は, 八日、臼井の城へ押寄る、道灌は歸陣して、太田圖書助と千葉の自胤兩大將, 大儀候歟, 謹上高瀬民部少輔殿, 十一月廿八日, 文明十一年正月十八日, 十一月廿八日道灌判, (〓書)「文明十一(朱書)「十イ, ル、十年十二月十日ノ條二收ム, ○上略、界根原合戰ノコトニカ, ○中, (朱書)「山内家人(書)「式部丞, 略, 降ル, 七月十五, 武田信興, 日落城, ニ歸ル, 白胤石濱, 二四〇

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  • ル、十年十二月十日ノ條二收ム
  • ○上略、界根原合戰ノコトニカ
  • ○中
  • (朱書)「山内家人(書)「式部丞

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  • 降ル
  • 七月十五
  • 武田信興
  • 日落城
  • ニ歸ル
  • 白胤石濱

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  • 二四〇

注記 (31)

  • 681,673,65,2193れとも、兩總州の士大形自胤へ歸服しける間、先長陣なれは歸陣有へしと
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