『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.223

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その底にかくしたれは、事故なくて海上にして、福島か使者船にのりうつ, 供奉して侍六七人ありしか、うたれしかにけうをしか、加藤か船に入り給, りて、肥後に至りつき給ひ、菊丸自齋と申す、有徳のあき人の山里に引こも, 左衞門と申をし者也、長胤か家亡ひし後に、浪人となりて、大岡か長崎の奉, りし刀を身にそへて、人もし見つけは自殺あるへきとの御事也、とかくし, 四人供奉したり人の見あやしめて、水をかへほして見しかと、二重にして, きやうなくて、赤裸になし參らをて、薦にて身をまとひ、塵芥の流し樣にこ, しらへて、有樂の陣のうしろの堀よりつき流す、秀頼は吉光の七寸五分あ, 行なりしによりてめしつかふ、それか先祖は攝州次木の城主ニて、茨木彈, て織田有樂をたのみ、戰半なる時に、その陣にむかへ入れあいらを、落すへ, て川口の邊迄流れゆきしに、兼て申し合せし事ニてこそありけめ、加藤肥, ひし時は、茨木彈正、直森與一兵衞、米田喜八郎、今一人は名わすれぬ、彼是侍, 後守か水船にのせて、舟底を二重にして、その下にかくしたり、こゝまては, 正といひて、秀頼の近臣也、大坂夏陣すてにかふと見へし時、近臣等相謀り, 藏といふものあり、もとは豐前中津の小笠原修理亮長胤か家ニて、平田權, 河中ニ流, 茨木彈正, 等秀頼ヲ, シテ城ヲ, 加藤忠廣, 乘リテ肥, 菊丸自齋, ノ水船ニ, 秀頼肥後, 後二遁ル, ト稱ス, 〓セシム, ニ遁ル, 元和元年五月八日, 二二三

頭注

  • 河中ニ流
  • 茨木彈正
  • 等秀頼ヲ
  • シテ城ヲ
  • 加藤忠廣
  • 乘リテ肥
  • 菊丸自齋
  • ノ水船ニ
  • 秀頼肥後
  • 後二遁ル
  • ト稱ス
  • 〓セシム
  • ニ遁ル

  • 元和元年五月八日

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  • 二二三

注記 (30)

  • 396,618,61,2207その底にかくしたれは、事故なくて海上にして、福島か使者船にのりうつ
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