『大日本史料』 8編 18 文明18年正月~同年8月 p.763

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内殿ゟ分國鮮く軍勢もたら〓共、太田父子か善政を聞及ひ、武功之者集, 知り、好む所に名を顯さすと云事なし、去共歌道は父入道ゟ少シ劣ルト, 十一歳之秋迄家に歸らす、螢雪の功積て、五山無雙之學匠たり、十一歳ノ, 沙汰し〓る、其後學窓に籠り、仁義禮知を專とし、和漢の記録を鑑み、賞罰, 下に聞えし程に、管領の重寶、政務の器量共可成とて、山内より御所望有, 冬頃、父入道方へ作文を送りきれは、其時父初て家へ迎え給ふ、其名譽天, しかとも、扇谷殿萬金にも替しと、彼千代鶴を召寄て、頓て加冠有て、太田, として、鎌倉管領兩上杉と云り、朝房公は憲顯之兄中務少輔憲藤之子也、, 源六持資と號し給ふ、後には備中守と云、道灌入道是也、此人十能七藝を, 一彼道眞公之一男鶴千代丸とて無類の童形也、此人九才の頃ゟ學所に入、, 勳功を別、是非明察して、慈悲深く給へは、諸將も是をもてなし々る、謀は, し、憲顯卒去の後は、子息兵部大輔能憲と、上杉彈正少弼朝房二人を執事, 後に在京して卒と云々、兄之子と有時は安房守の説無左違歟、, 長良にも劣す、敵陣を破事は呉子孫子か祕する所を得たり、扇谷殿は山, 部大輔憲顯關東之政務を司る、東國の諸人憲顯を崇敬する事管領の如, 文明十八年七月二十六日, 雙ノ學匠, トナル, 持資ト稱, 加冠シテ, 歳五山無, 道灌十一, 七六三

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  • 雙ノ學匠
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  • 加冠シテ
  • 歳五山無
  • 道灌十一

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  • 七六三

注記 (23)

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