『大日本史料』 9編 1 永正5年6月-永正6年9月 p.202

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し、さお山にて腹をさり候, 明應五年四月二十五日、四十二歳卒、號松泉院, 事及ビ後法成寺尚通公記ニ據リテ掲記ス、, 月□十□日、播州をはしめ悉討果し申候、扨も其時、源次ぬ播州と一味いた, にとり、〓時日をうつさす、御屋形御の□れ候て、さお山を取詰、永正四年九, をおこされ候、少々同意の衆も候へとも、先壹人〓鹽屋乃さき山と申を陣, 御定り當日より御前に詰、御奉公被申候、才松との御元服有、赤松次郎義村, 院とのと申、其後赤松播磨守殿と申人、御一家の中にが、御家督を望み謀叛, 三年移置鹽城, ○本條、實隆公記ニ、永正四年及ビ五年ノ兩記事アリ、今永正五年ノ記, と申、後には兵部丞殿と申、くりうゐん殿とは此御事なり、上樣は後に瑞正, 伊豫守義雅孫性存時勝子也、應仁元年五月、播州へ發向、此時在姫路城、同, 一赤松中興同飾東郡置鹽城主從三位松泉院兵部少輔政則者、滿祐舍弟, 赤松家中興, 參考〕, 無善性雲大居士、, 〔赤松記, 置城之城主, 之最初也、, ○播, 磨, 鹽〓カ), 赤松政則, 才松義村, ト稱ス, 永正五年九月十一日, 二〇二

割注

  • 置城之城主
  • 之最初也、
  • ○播
  • 鹽〓カ)

頭注

  • 赤松政則
  • 才松義村
  • ト稱ス

  • 永正五年九月十一日

ノンブル

  • 二〇二

注記 (27)

  • 1092,670,56,773し、さお山にて腹をさり候
  • 291,1525,68,1342明應五年四月二十五日、四十二歳卒、號松泉院
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