『大日本史料』 9編 2 永正6年10月-永正7年12月 p.771

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罸を嚴くせられし故、したしむもの更になし、又其中に首を刎られしもの, 責られしに、長尾爲景も越中より來り、高梨となれ合ひて戰ひける程に、可, 淳の勢は、ちり〳〵に迯行けり、けれ共長尾は可淳の勢に追くつさる、高梨, 上杉可淳は、永正六年、長尾爲景を追落して、翌七年六月まて越後に住して、, を生捕にして、竹鋸にて首を切らんと怒られしに、高梨聞て、爲景か殘黨七, といふもの、近年越後に住して、房能の旗下なりしか、彼も房能をうらむる, もあれは、其一類は猶以來らす、可淳今は力なく、手勢計にて椎屋城へ向ひ, 隣を放火し、兵粮を持運ふ、可淳父子聞て、今まてかくれたれは社はし置た, 百餘人かたらひて、椎屋城にたてこもる、是永正七年六月十二日の事也、近, れ、既に居所のしれたれは、忽にせめ落さんとて、人數を催促すれ共、此度刑, きて、山林に迯かくれ、やすき心はなかりけり、其頃信濃國住人高梨攝津守, 其殘黨を尋手、或は妻子をもとめ、又は所帶を沒收せしゆへ、國中大にさは, 事有て、爲景と心を合せ、房能を討たりけり、可淳入道は弟の敵なれは、高梨, 〔盛衰通紀〕十一上杉顯定入道可濘討、死之事, 政景モ、上田ヨリ越中ノ諸丸迄切隨、, ○下, 略, 永正七年六月二十日, 七七一

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  • ○下

  • 永正七年六月二十日

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  • 七七一

注記 (19)

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