『大日本史料』 9編 6 永正12年是歳-永正14年6月 p.317

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生捕て福原に歸りしか、終には資永利を失ひ、資久を指〓し、生害をとけ々, る、是よりして、上那須の家絶て、下那須の大炊介資房上下の兩莊を合領ス、, を發し、資永の居城福原を攻る、然るに資永謀を以、闇夜に軍士七八人忍は, 資親乃養子資永親子之中不快也資親病死之時、太田原出雲守、同備前守を, 近付、後には資永を亡し、資久を代に可立由遺言有て逝去す、百日計あつて、, せ、黒羽根城の東之出櫓に火をかけ、其紛に西河岸より彼軍兵忍入、資久を, 資房なり、然るに上庄の資親初無男子、女子壹人在、其頃白川の城主結城義, 七八人遣し、黒羽の城乃東出櫓に火矢を射懸、其騷に西の河岸より資永忍, 大田原備前催軍勢、福原の城へ寄、合戰及數度くる、資永謀略、暗夜に忍軍兵, 入て、小人資久を懷捕て福原の城へ皈り〓る、大田原大將を被捕し故、福原, 此人は越後守資持ろ孫、伊豫守資實ろ子也、永正十三年丙子六月七日、上下, るき、いかにもして資永を討て、資久を立へしと云り、此故に太田原父子兵, 〔那須譜見聞録〕十永正年中、兩那須と聞へしは、福原に資親、鳥山の城に, 親の次男を□取、爲背讓家督、號那須資永其後老後に資親子あり、號資久、後, の那須一統し畢ぬ、, 宇都宮ノ, 旗下也, 資久ヲ奮, 上那須家, ニ黒羽城, ニ放火シ, 資永闇夜, 斷絶ス, 永正十三年六月七日, 三一七

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  • 宇都宮ノ
  • 旗下也

頭注

  • 資久ヲ奮
  • 上那須家
  • ニ黒羽城
  • ニ放火シ
  • 資永闇夜
  • 斷絶ス

  • 永正十三年六月七日

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  • 三一七

注記 (25)

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