『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.336

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那須, 領地を、同國那須郡の内にうつさる、, 任す、のち父か遺跡を繼、これまての釆地をよひ一族等にたまひし采地, 給ひ、那須が本領悉く、彼の一族家人等に割き與へて、, 鷲宿等の大小の城五六箇所を攻め取て、近鄰に威を震ふ、同き十八年、豐臣, 宮下野守國綱と薄羽原に戰ひ、國綱が多勢を打破り、其勢に乘して、喜連川、, を合せ、すへて一萬四千石餘を領す、其後、陸奧國をよひ下野國芳賀郡の, 關白相模國に發向あり、東國の大名等御陣に馳せ參る者引きも切らず、那, 須が一族家人等も同く小田原に馳せ參る、北條既に亡ひ、奧に下り給ふと, 宮と互に地を爭ひ戰を合す、資晴が時に至り、天正十三年三月廿五日、宇都, 景か父なりけり、資晴初め那須太郎と名乘る、先祖累世、岩城、白川、佐竹、宇都, 資, 資景母は晴朝か女、慶長十一年十二月二十五日、從五位下左京大夫に敍, て、當國に御陣を召れしに及びて、資晴初て見參す、殿下資晴が遲參を怒り, 資氏十三代の孫修理大夫資晴、是れ左京大夫資, 室は結城中務大輔晴朝か女、, 晴僅に福原の地をぞ賜ひたる、朝鮮の軍起りて、催促に隨ひ軍勢少々引具, 藩翰譜, 慶長十五年六月十九日, 大田原、大關、育王野、, 二玄性寺ト云フモノ所見ナシ, 福原、蘆野、千本等、, 下略, 代々の祈願所なりト」アリテ、外, ○上, 略, ○上, 下, 九, ○, 資景, 三三六

割注

  • 大田原、大關、育王野、
  • 二玄性寺ト云フモノ所見ナシ
  • 福原、蘆野、千本等、
  • 下略
  • 代々の祈願所なりト」アリテ、外
  • ○上

頭注

  • 資景

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  • 三三六

注記 (32)

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