『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.337

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太郎が妻なり、晴朝、江戸が娘を子として、三河守殿, 卒す、, して所領の地を加へられ、, させ、所領をも加へ給ひしにや、, 徳川殿の味方として、宇都宮の城に人質を參らせ、奧方の上杉と戰はんと, に配せ參らせ、家, ちぶれたりし事など、大御所憐み思召ける故、常に御前近く召され、敍爵, が子とは外從兄弟なれば、疏からぬ御中なり、殊に累代の大名の斯くお, を讓らる、然れば、資晴は三河守殿の御相婿にて、三河守殿の御子と、資晴, す、天下既に徳川殿に歸して後、同き七年の頃より、資晴常に大御所に伺候, 資晴, して、筑紫の名護屋に馳せ參る、慶長五年の秋、東西一時に軍起りし時、資晴, 按ずるに、結城左衞門督晴朝の女子、一人は江戸但馬守が妻、一人は那須, 從五位下になされ、今年又改て修理大夫に任す、同き十五年、五十四歳にて, 同き九年、大膳大夫, 其子左京大夫資景、慶長十一年二月廿五日敍爵し、父卒して後、家を繼き、〓, 〔那須系圖, 略, 時一萬七千石に至りしにや, ○那須譜見, 何程と云ふこと知れず、この, 聞録三所收, 康, ○秀, 慶長十五年六月十九日, 三三七

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  • 時一萬七千石に至りしにや
  • ○那須譜見
  • 何程と云ふこと知れず、この
  • 聞録三所收
  • ○秀

  • 慶長十五年六月十九日

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  • 三三七

注記 (26)

  • 1100,702,67,1507太郎が妻なり、晴朝、江戸が娘を子として、三河守殿
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