『大日本史料』 11編 3 天正10年12月 p.740

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有樣あのはき武士とやとほめに々り、, 資晴城に引取せ給ひける、藤田九右衞門、五人はりに十五束打つろひ、さん, す、鹽谷の郎等に篠沼、午塚兩人、命をちんろひのことくおもふ勇士なれは, とも不叶、進まんとすれは敵は、大勢なり、進退此に谷て、敗亡已に極り〓る、, の士卒き、川を颯と渡して落て行、那須勢も一千餘人川を渡しおつかけ〓, る、臀には東將監一千餘騎にて、しつ〳〵と引て、佐竹に歸り〓る、東將監か, 四尺計の太刀打ふりて、近付敵の馬の平くびを切て落す、馬り落る所を, 〳〵射々くる程に、矢場に七騎射落々る、蘆野、伊王野、稻澤、大關は、宇都宮を相, 資晴大勢をかけ破、巴の字におひまりし、一所に合て三所にりろめ、四方を, 首打落す、なを切て掛を、もろひさをなき、打ぬをひく、三騎討取々る其間に、, 待所に、未寄さり々れは、烏山の合戰に、資晴危みへさせ給ふと聞、五百餘人, 馬けむりを立てはせ來て、中河の端を遮て合戰すへしとて、河の岸へ〓い, 拂て、八面に當り、頃刻に變化して相戰々まとも、敵は猛勢なれは事ともせ, 〓きらる、佐竹勢是を見て、稻澤、伊王野等か荒手には叶ましとて、五千餘騎, 〔大關系譜略傳〕天正十一年癸未二月、佐竹、宇都宮等七千餘騎、那須へ攻來, 大關高増, 救フ, 等資晴ヲ, 入ル, 東將監, 資晴城ニ, 天正十一年二月是月, 七四〇

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  • 大關高増
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  • 等資晴ヲ
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  • 東將監
  • 資晴城ニ

  • 天正十一年二月是月

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  • 七四〇

注記 (23)

  • 293,574,62,1146有樣あのはき武士とやとほめに々り、
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  • 1441,577,63,2196す、鹽谷の郎等に篠沼、午塚兩人、命をちんろひのことくおもふ勇士なれは
  • 1786,573,63,2200とも不叶、進まんとすれは敵は、大勢なり、進退此に谷て、敗亡已に極り〓る、
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