『大日本史料』 9編 11 永正17年4月-永正17年雑載 p.174

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ヲ黒羽根ヨリ堅田郷山田ニ移ス、, 隆もすてに討死と見へけれは、老臣志賀備中守・白土淡路守各相議して取て返、爰にて, 長山信濃守百騎計にて馳加れは、敵是を見て、山田の城を卷ほくし、中川を渡、山崎ゟ, の中へ切入、火花を散して戰ける、敵不怺、後の河岸に引退、追立々々討取けれは、守, 首を取、白土淡路守も同討死なり、其間に岩城衆不殘引取、兩人の墓此所に在、, 八月十三日、爲後詰、烏山より打出、以之外に無勢なりけれは、宇都宮より爲加勢と、, 五町餘東繩釣原に陣取、此〓初て奥の方へ鐵炮渡、岩城陣へ打懸、一同に喚〓、大勢, 政資を討取、那須を領知せんと一千餘騎引率、山田の城を取卷て責、資房、永正十七年, 〔大關系譜略傳〕美濃守宗増傳ニ曰、寛正四年癸未、黒羽城ニ誕生ス、明應年中居城, ノ軍ニ打負ヌル由、山田ノ寄手等聞テ、那須勢ノ後詰ノ勢ト別、包マレン事ヲ恐レテ、, 浪人石澤新五郎と云もの、十七歳と名乘て一陣に有けるか、鐵炮にて志賀備中守を打落、, 我々討死せすして不可叶、大將は御退候へと、勝誇たる敵の中へ切て懸、味方に佐竹, 月九日、白川義永此由ヲ傳聞テ怒リ、大軍ヲ以テ山田城ヲ攻サセケル、義永常州繩釣, 圍ヲ解テ東國ニ歸ラントスルヲ、城中ヨリ見テ、宗増ヲ初メ、金丸等下知シテ、火花, 永正十七年庚辰八, ○中略、那須資永、同資久ヲ刺殺シテ、自刄ス, ルコトニカヽル、十三年六月七日ノ條ニ收ム、, 下略, ○上, 永正十七年八月十三日, 一七四

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  • ○中略、那須資永、同資久ヲ刺殺シテ、自刄ス
  • ルコトニカヽル、十三年六月七日ノ條ニ收ム、
  • 下略
  • ○上

  • 永正十七年八月十三日

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  • 一七四

注記 (21)

  • 601,595,60,828ヲ黒羽根ヨリ堅田郷山田ニ移ス、
  • 1176,586,64,2236隆もすてに討死と見へけれは、老臣志賀備中守・白土淡路守各相議して取て返、爰にて
  • 1522,590,67,2235長山信濃守百騎計にて馳加れは、敵是を見て、山田の城を卷ほくし、中川を渡、山崎ゟ
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