『大日本史料』 7編 17 応永19年8月~同20年2月 p.52

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と、老名の面々〓りに申れけれは、最とて則城を請取らせ玉ふ、, 屋形馳せ移馳戰れは、以後の難儀無覺束思はれけるに、其夜城を捨て敵悉く退散して、, て、曾井の後卷有り、未陣幕迄張せけるに、思掛なき物蔭より敵斬入り、已に太刀討に, 及し間、北郷・樺山寄々御内勢三俣兩人の衆、穆佐高城・白糸・細江・海江田ノ兵を以, 成けれは、北郷・樺山自身手を烙て戰けれとも不叶、兩人の手討るゝ者其數を知らす、, 附、既に兩城に切乘ける所を、末弘甲斐守・佐多若狹守・同讃岐守、郎從には佐藤・, 城も手弱成けれは、此時兵を起し、霜臺に腹を切らせ、不如雪恥と、屋形欝憤を含玉ひ, 此時高木左馬助も討死しけれは、同手の者とも數十人被討にける、佐多兵部太輔并和田, を養子に折言約有て、次郎三郎と名付、家紋を給り、其上長吉拾二町を預けられて、个, 族も一族郎從過半打れて曳退く、曾井天道の合戰とは是也、此事鹿兒嶋漏聞へけれは、, 松本・瀬口・椎原、此等の面々意を合せ、思樣に太刀討して、手を烙けるに、猛煙浸, しか、未國も不調は折節なれは、一先城を開き揖宿に取繼、以後に遂本意玉ひ候へかし, 樣に成行けれは、伊東いよ〳〵驕慢して、御前の御座所をも憚らす、穆佐高木に忍を, 天、既に西城も灰燼と成しかとも、城は暫答へけれとも、先御前御曹子二人者、末吉, 高木左馬介か二男, ○中, 略, キ城ヲ捨テ, ヽ退ク, 伊東勢久豐, ノ來援ヲ聞, 久豐伊集院, 頼久ヲ伐タ, ントス, 應永十九年九月二十五日, 五二

割注

  • ○中

頭注

  • キ城ヲ捨テ
  • ヽ退ク
  • 伊東勢久豐
  • ノ來援ヲ聞
  • 久豐伊集院
  • 頼久ヲ伐タ
  • ントス

  • 應永十九年九月二十五日

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  • 五二

注記 (26)

  • 875,615,61,1647と、老名の面々〓りに申れけれは、最とて則城を請取らせ玉ふ、
  • 1223,608,62,2206屋形馳せ移馳戰れは、以後の難儀無覺束思はれけるに、其夜城を捨て敵悉く退散して、
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