『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.505

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並く討れける、生殘りたる一色衆、皆弓木へ引取て、堅固に城をかためたり、, にものろしを立、彼十餘騎の兵とも、方々の一味の者、此煙を見るよりも、監, 弓木に馳向ひ、五郎か室を請取へし、若し城内の侍共、少も擬議する族をは、, 殿と一同に二人の者をも討せける、蘆屋、金川勇士にて、懺敷拔合、討手も手, 負けれと、多勢に無勢不叶して、二人も討れける、其外の一色衆、兼て大手の, 一々に頸を刎、城を破却し歸へし、出馬の相圖は、狼煙なりと云合、騎馬十四, を轟し、追つかへしつ戰ひける、手負死人多かりけり、一色方に十三人枕を, 忠興兼く米田監物に密談せられけるは、一色五郎を討とめは、汝ははやく, 門外に町屋を點して置けるか、城内何さま騷しく、一色討れ給ふと聞えけ, つかへし故、此時も召具せられ、次の間に有けるか、兼て討手を認し置、一色, 五騎に、足輕從ておかれける、宮津より西に當てのろしか嶽とて高山あり、, れは、すは我先にと拔つれて、追手の門へ込入しを、細川衆切て出、大手の橋, 物に隨て弓木に押よせて、城内へ云入けるは、御内室の迎として、米田監物, 此山に兼て煙の役人付置れ、一色を討とひとしく城内に煙を上れは、山上, 米田監物弓木の城に向ふ事, テ義有夫, 人長岡氏, 宗堅ヲシ, 忠興(米田, ヲ弓木ヨ, リ迎ヘ出, サシム, 天正十年九月八日, 五〇五

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  • テ義有夫
  • 人長岡氏
  • 宗堅ヲシ
  • 忠興(米田
  • ヲ弓木ヨ
  • リ迎ヘ出
  • サシム

  • 天正十年九月八日

ノンブル

  • 五〇五

注記 (24)

  • 1198,631,67,2238並く討れける、生殘りたる一色衆、皆弓木へ引取て、堅固に城をかためたり、
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