『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.265

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門忠世・天野三郎兵衞康景等相議して、いざや今夜一ツ夜討して、敵兵を劫かさんと、敗軍, 壹ツ飛び來て、直忠が目を打〓たり、鳥居は大猛勢の者なれは、息をして氣を取り直さん, の兵を集め、鐵炮を求るに、わずか十六挺を尋ね得たり、騎馬・輕卒彼是五拾餘人、案内は, 去る程に武田信玄二ケ所の軍に打勝て、夜もふけしかば、味方原犀峪の近邊に野陳を張り、, が討死を取りわけおしみ感しあへり、其外信長衆こと〳〵く敗軍して引退きしとなり、, もし夜討や寄セんと、敵も味方も大篝をたき立たり、爰に家康公の御家人大久保七郎右衞, としけれ共、頭を打拔れたる事なれば、叶わずして馬より落る所、從兵おりかさなりて、, 首取て盆なしと馬引直し、切り入らんとしける所、運の極りにや、誰放すともなき流れ下, 立、追ひなびけ、馳セかゝつて直村が冑を破れよ、碎けよと、ちからに任セて四手肥に打け, れば、白星の筋胄星をかけ、眉間の腦を出る程打ち込みければ、土屋直村は目くらみ、忙, 然として持たる長刀取り直すに及ばず、馬より逆に落たり、鳥居は討死ときわめければ、, らんと爭ひたり、直忠は大太刀まつこうにさしかざし、土屋を目がけ、さゝゆる徒卒なき, 直村終に首を取り、土屋は深手なりしが、療治して命生たりと云云、敵も味方も鳥居・成瀬, 遠州犀峪夜討の事、, 元龜三年十二月二十二日, 二六五

  • 元龜三年十二月二十二日

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  • 二六五

注記 (16)

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