『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.701

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て嚴敷防かれ、上田權右衞門討死して、其他の手負數を知らす、一忠の臣林, 門大夫、此手にて鐵砲疵を被りけるか、強て乘入、鵜飼治右衞門を討取、續て, り切て短くし、大勢の中に驅入、當るを幸に〓倒す、其働誠に一人當千なり、, けり、寄手二人の勇士を討たれて、大に怒り、我も〳〵と驅入けれは、吉晴下, 彼兩人に討れにけり、堀尾帶刀吉晴は、裏門の討手に向はれたるか、鐵砲に, 吉晴の臣武藤七右衞門乘入りたるを、安藤今平と名乘て、一槍に〓伏せけ, り、次に落合助九郎飛入て、足輕二三人斬倒せは、安藤渡合ひ、又落合を討取, 戰ひ討死す、藤井助兵衞其首を取る、一説には、矢野寶田二人に討ると云〓, 村三藏一番に乘入々り、石原茂兵衞これと戰ひたれとも、槍を切折られて、, 度子細有て、村詮か味方致候、今に至て志を易へ候はしと對て、終に大勢と, 因て一忠、人を以て、罪は免すへし、味方に參り候へと申入られたれとも、此, 砲を打出す事雨の如くなれハ、寄手亂足になる所を、柳生長柄の槍を中よ, り、一忠、吉晴甚惜まれけるとかや、此五郎左衞門は、所謂柳生但馬殿の兄な, 多討死したれ共、死人の上を踏越乘越、荒手を入替て攻ける間、伴平兵衞、松, 故有て流浪し、村詮に遇して一忠に仕へしなり、去程に、寄手數, り, 藩翰譜に, 弟とす、, 慶長八年十一月十四日, 七〇一

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  • 藩翰譜に
  • 弟とす、

  • 慶長八年十一月十四日

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  • 七〇一

注記 (20)

  • 750,662,82,2212て嚴敷防かれ、上田權右衞門討死して、其他の手負數を知らす、一忠の臣林
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