『大日本史料』 10編 1 永禄11年8月~同12年2月 p.572

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く患ひ給ひ、急き造營果し遂らるへしと、頓て京都より大助とて、隱れなた, へしと仰けれは、彌宮を汚すへからすと、晝夜番人を付置、其日に成しかは, 木を伐、牛馬を繋き、御宮に落書堅く禁制の高札を立られける、元親參詣有, 衰へ給ひける間、元親再興有るへしと評定せられしかとし、世の□依て、兎, 角延引有る處に、去ル文祿六年の秋、東山の軍士一宮村民屋を燒拂ひ、餘煙, の境内五町餘の馬場を、二王門迄御輿を廻らして、唯其規式計殘て、神光漸, 破れ民煩て、兵革街を動かし、鯨波山野を響せしかは、神社の尊崇、佛堂の拜, 大工并檜皮師を呼下し、同十年丁卯十一月十五日斧初、元龜元年庚午九月, 十三日棟上有、四十座の末座、二王堂、護摩堂、鐘樓堂、三昧堂、經藏、寶藏國司屋, 禮しなく成行て、當社いつしか廟宇漸傾き、門牆半は朽て、祭禮も僅に御宮, 一和尚、神人の舍屋に至迄、春秋五歳にして、土木の功成就す、工人の妙を極, め、丹青の錦を竭しけれは、言語道斷の壯觀也、雜人原御宮の境内に入て、竹, 當社の境内に及て、本社末社神人の居宅迄も殘らす囘祿せしかは、元親深, 天上屋、厨屋、經所、井屋、東西塀門、一鳥井、二鳥井、三鳥井、三重塔、神宮寺、長福寺、, 役人共は宵より相詰め、曉天に庭の塵をとらせ、蜘の巣拂はせ、改清めけm, ト元親ノ, 斧初, 神社燒失, 再建, 棟上, 堂社, 永祿十一年是歳, 五七二

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  • ト元親ノ
  • 斧初
  • 神社燒失
  • 再建
  • 棟上
  • 堂社

  • 永祿十一年是歳

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  • 五七二

注記 (23)

  • 1100,690,58,2202く患ひ給ひ、急き造營果し遂らるへしと、頓て京都より大助とて、隱れなた
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