『大日本史料』 10編 2 永禄12年3月~同年6月 p.586

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り引退候而、豐後之勢之寄來〓〓方角に在之山々を陣取、陳屋之外構に, は、塀矢倉を付、岸を切立、寔の城之かまへのことくに用意し、陣所〳〵の, は、江田、佐々部、奧、垣内、已上右之衆中は、要害せめ口之惣陣より八町はか, 日之未明に、豐後勢數万騎こて打出、當方之惣陣え相働申候事、寔めを驚, 門田、草井、小泉與一、吉川殿御一手よりは、森脇、山縣、朝枝、六戸殿手之衆に, 加勢之うしろまお可有之候條、當方よりも、後卷の手あてを專にさせら, れ候するとの御談合を以、彼後卷の手あそにさしむけられ候衆中には、, 尉、備後國こは、三吉、高山、長、楢崎、備中之穗井田、小早川殿御手衆には、椋梨, むれ〳〵、日夜用心稠敷段は、申もおろかに候事、, 少輔、同民部大夫、〓原掃部、此四人手頭と而、都合人數三千はかりこて、楯, 安藝の國衆こは、熊谷伊豆守信直、三須兵部少輔、遠藤修理亮、香川左衞門, しせる儀共に候、中にも請手之先陣に構たる高山、椋梨、楢崎、右之三陣、取, 籠相支申候、就夫城責口之御手配之儀申におよはす、はためく豐後より、, 諸勢之儀は不及申、御三殿、福原、志道なとよりも、討〓として、五騎、十騎打, 一如此敵方後卷之御用心之御手當之儀を專に御手遣候之處、如案五月五, 永祿十二年五月十八日, 五八六

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  • 五八六

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