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内に味方もそんせす、長宗我部を追落さん事、掌の内にあり、かまへて卒爾, 有なん、味方には入替る勢にし、たゝ今宵の内に責給はゝ、治て勝なんもの, にかゝるへからすとそすゝまれす、平野又云、日數經るうち、城には後詰も, す、味方すゝみぬ、此競をぬかしては配軍たるへしと、備後聞て、今一兩日の, さる所に、安喜勢よするや否、切きし塀きわ迄詰よせ、既塀を崩さんとする、, 門を開て切て出、爰をせんとゝ責戰ふ、寄手切立られ、本陣へ引けれは、城の, もの、諫て云、只今惣責して城を責落へし、日も暮ぬれは、鐵炮をも恐にたら, 兵を引入けり、斯而日も暮方に成けれは、備後守家老平野矢之助と云剛の, 城より鐵炮きひしく打せたまふ處へ、桑名。久武、中ノ内、江村、香宗我部、吉良, 利を失はゝ、矢流山へ引受、重て戰へしと、ひそかに」一條殿へ内通しけれは, 岡豐の城へ未明に押寄、開をとつと上る、元親は今よすへきともおもわれ, たかはす、剩さおんする時は人を制すといへり、いさ岡豐へおしよせ、若勝, 安喜郡安喜備後守は、五千貫の領主、安喜に在城す、一條殿知行也、岡豐へ其, 間七里有、「其身の武勇といひ、又矢流山とて大山あり、此節所を頼、元親にし, 加勢「五百余騎を給り、備後手勢都合一千餘、」永祿十二年六月に安喜を打立、, 岡豐へ道五六里ねり、, 永祿十二年八月十一日, 一五九
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- 岡豐へ道五六里ねり、
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- 永祿十二年八月十一日
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- 一五九
注記 (18)
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