『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.212

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上意有りける、日新樣之御事を恭敬禮拜申也、菱刈方こ平の城を被下て、, ゝそ見得にける、數ケ度乃軍ニ仕負宛、相良、菱刈迷惑に罷成り、〓に佗を, の共、すり付ては被射〓、又寄さ付ては被討取、敵方の者共は、しほりはて, 田尾張守の仕前之段々者、一入殊勝こ見得ニけり、扨社負てかつ〓しと, めて、慶事は無限、同九月廿日こは、大口の内城こて太平の咄氣を取作、鎌, 作をそながせらる、求摩八代衆と大口衆指相ひてぬせきのけんとせし, 〓上して、菱刈方の命を被助下て、同九月中旬こ、大口の番衆を引く、求摩, 大口の者共が心の内ぞ哀成る、慈の兵ものきをひつゝ、勝て甲の緒をし, 其餘り乃外城えは、地頭を堅く被指置、國家太平なりけれは、御太將軍貴, 北郷殿御宿所, 人樣ヒ義久樣を奉始メ、御開陣ましまさは、諸軍兵致供奉蒙御感計也、, 南北走廻り、秋き作りを取拂さ、三日中の御出勢、諸大將衆こ至まて、手自, 比者永祿十二年八月十八日より、大口城を取卷て、東西, 薩藩舊記雜録〕, 〓薩藩舊記雜録〕〓谷場越前自記, 永祿十二年八月二十六日, ○中略、義久、菱刈隆秋、相良義陽ノ, 兵ト薩摩戸神尾ニ戰フコトニカ, 日ノ條ニ收ム、, ル、五月二十五, 編, 五, 、後, 長谷場越前自記, ノ稻ヲ刈, 義久ノ兵, 大口城邊, 氏ニ平城, 義久菱刈, ヲ與フ, 二一二, 相良

割注

  • ○中略、義久、菱刈隆秋、相良義陽ノ
  • 兵ト薩摩戸神尾ニ戰フコトニカ
  • 日ノ條ニ收ム、
  • ル、五月二十五
  • 、後
  • 長谷場越前自記

頭注

  • ノ稻ヲ刈
  • 義久ノ兵
  • 大口城邊
  • 氏ニ平城
  • 義久菱刈
  • ヲ與フ

ノンブル

  • 二一二
  • 相良

注記 (32)

  • 406,720,87,2137上意有りける、日新樣之御事を恭敬禮拜申也、菱刈方こ平の城を被下て、
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