『大日本史料』 10編 3 永禄12年7月~元亀元年正月 p.636

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モ大ニ悦テ、元龜元年庚午ノ歳、御笠郡ヲ給リ、古ノ居城ナレバトテ、寶滿、岩, し、智勇の良將吉川元春、小早川隆景先駈し、筑前國立花山に、夏より冬に, む陰れく、茫然として居たりしが、先非を悔ひ、さま〴〵に侘ける故、大友, 屋兩城ヲ堅メ、高橋家ヲ再興セリ、是ヨリシテコソ、兩高橋トハナリニケル、, 至るまで陣を張り、豐前、筑前の國士、多くは毛利家に歸服せしかは、何さ, 區々なりしに、大友家の魁將戸次鑑連、臼杵鑑速、吉弘鑑理等の英雄の鉾, シ、紹運トゾ申ケル、武勇ノ譽長シテ、兵名遠國迄モ隱ナカリシコト共ナリ、, 〓大友家の滅亡乃時節なるべしと、中國、九國の兒童走卒まて、互に欣感, る事もれく、中國へ引歸しけれは、寶滿の城に楯籠りし高橋三河守は、頼, 主膳兵衞鎭理實名ヲ鎭種ト改ム、行年二十三歳ナリ、三十ノ内ニシテ法躰, 一毛利家より九州へ軍勢を渡す事、天文廿三年より永祿十二年に至て、既, に三ケ度に及べり、殊に去永祿年中には、毛利元就自身中國の大兵を起, 鋩折き難く、又は吉岡宗觀か一時の謀略に陷され、毛利の大軍仕出した, 家より宥免を蒙り、寶滿、岩谷の兩城二千餘町の領地共に悉く沒收し、豐, 〔薦野家譜〕二吉弘鎭理、寶滿、岩谷乃城主となり、高橋氏を稱する事、, 兩高橋, 鎭種入道, シテ紹運, ト號ス, 永祿十二年十一月是月, 六三六

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  • 兩高橋
  • 鎭種入道
  • シテ紹運
  • ト號ス

  • 永祿十二年十一月是月

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  • 六三六

注記 (21)

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