『大日本史料』 12編 14 慶長十九年五月~同年九月 p.133

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る、鎭信先祖よりの所領を安堵し、肥前國松浦、彼杵兩郡をよひ壹岐國に, とも、衆寡敵しかたく、またけきに諸將と群議し、都城にかへりて、漢南の, 兵をまたむと約をしにより、鎭信、行長等、旌旗を張、行伍をたゝして、こと, をいて漢南の兵と戰をいとむ、彼いつはつて和をこふ、行長これを察せ, 味方の志を顯はせしかは、九月二十八日、東照宮より御感乃御書を下さ, 〳〵く村里に放火し、終に都城にかへる、數日のゝち明兵都城にいたる、, こゝにをいて宇喜多秀家、黒田長政、吉川廣家、小早川隆景、立花宗茂等と, す、城をいつる事三里、彼兵に圍まれ危急に及ふ、鎭信は、はしめより〓の, のとき鎭信殿をしかは、諸勢恙なく城にいる、鎭信朝鮮に在陣すよ事す, に兵を發してこれを救ふ、これによりて行長まぬかるゝ事をえたり、こ, 僞りならむことをうたかひ、諸卒をし〓田甲冑を〓しめす、故にすミやか, 鎭信、行長等平壤にあり、士卒心を專にし、壘をか〓うして防戰すといへ, へて七年なり、五年、石田三成謀反乃とき、鎭信其催促に應をす、一途に御, む、二年、明より漢南の兵百萬を發して朝鮮を救ふ、このときにあたりて, ゝもに力戰して、大に漢南の兵を〓しる、慶長三年、小西行長等、順天府に, 慶長十九年五月二十六日, 家康ニ屬, 鎭信ノ用, 關原ノ役, 意, 家康本領, ヲ安堵ス, ス, 一三三

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  • 家康ニ屬
  • 鎭信ノ用
  • 關原ノ役
  • 家康本領
  • ヲ安堵ス

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  • 一三三

注記 (24)

  • 302,661,61,2128る、鎭信先祖よりの所領を安堵し、肥前國松浦、彼杵兩郡をよひ壹岐國に
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