『大日本史料』 10編 5 元亀元年10月~2年2月 p.983

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ト雖、三十騎ヲ率テ大手へ出張ス、松田ハジメハ城兵ヲ〓ル所、小山田ガ其, 左兵衞信茂ガ勢ヲ五騎三騎宛深澤へ遣ハス、今日彈正僅四十騎ニ足ラズ, ス、北條軍ヲ引テ歸ル、, ラキ亂妨ス、兼テ信玄ハ北條家今既越後ノ謙信ト合體ス、必上杉ヲ後楯ト, 軍ヲ城外ニ出スニ依テ大ニ怪ミ、地下人ニ其事ヲ訊フ所ニ、果〓郡内ヨリ, お故、城まはりの麥作をけり、或うへ田をこ〓捨、思ふさましつめをりと, 乃間御番を〓とめ候侍衆にて、結句本乃近習より武篇場數はおほくし, シ、深澤ヘハタラクベシト察シ、城將小山田彈正ガ援助ト〓、郡内ノ小山田, て、小田原へ歸陳おり、, テ、信玄カ家人駒井右京カ守護ス深澤城ヲ圍ム、堅固ニシテ攻取コト叶ハ, よくて、北條衆三万四万乃多勢を何とも不存候により、北條衆可仕樣な, て、五十騎とい〓とも、〓ゝ乃侍千騎籠たるより、此五十騎は弓矢乃作法, 乃傍にある境目乃城こえ、番手に指越、御用なれは又御旗本へよひ、火燒, 〔鎌倉九代後記〕元龜元年四月中旬、北條氏康父子軍ヲ卒シ、駿州へ出張シ, 〔武徳編年集成〕十一四月三日、北條家ノ老臣松田尾張憲秀、深澤ヘハタ, ○下, 略, ノ將駒井, 北條氏康, 父子信玄, 右京ヲ深, 澤城ニ攻, ムトノ説, 元龜二年二月二十三日, 九八三

割注

  • ○下

頭注

  • ノ將駒井
  • 北條氏康
  • 父子信玄
  • 右京ヲ深
  • 澤城ニ攻
  • ムトノ説

  • 元龜二年二月二十三日

ノンブル

  • 九八三

注記 (25)

  • 370,668,71,2186ト雖、三十騎ヲ率テ大手へ出張ス、松田ハジメハ城兵ヲ〓ル所、小山田ガ其
  • 488,662,68,2181左兵衞信茂ガ勢ヲ五騎三騎宛深澤へ遣ハス、今日彈正僅四十騎ニ足ラズ
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  • 719,660,67,2181ラキ亂妨ス、兼テ信玄ハ北條家今既越後ノ謙信ト合體ス、必上杉ヲ後楯ト
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