『大日本史料』 10編 6 元亀2年3月~同年9月 p.170

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松平玄銕, また岩津村にいたり、だ乃あたりを放火さしりは、青山忠門をよひ牛大夫, なしむ、四月、また遠江國の郷民等蜂起し、三河國作手口より岡崎にうち出、, 夫忠門におほさて防りしめらる、玄銕、忠門としめしあはせ、百々村に棚ゆ, 燒、嚴密ニ相守候、依之一揆退散、岡崎致靜謐候、同年四月上旬、遠州所々之地, 門尉被仰付、岩津村江馳向相戰、則時敵ヲ追崩シ得勝利、敵ハ同國眞福寺江, ひまはし、士卒を配り、斥候乃ものを出し、夜で篝をたきた、岡崎乃通路をい, 其邊悉致放火ニ付、青山喜太夫義門、同牛之太夫某、卯野小兵衞某、且又右衞, 元龜二年、武田勢三, 侍一揆ヲ起、同國作手口ヨリ岡崎江發向、同月七日之夜、三州岩津村迄出張、, 引退候處、致追討、ヨキトギ山ニテ各鑓ヲ合高名仕候、喜太夫ハ同國阿知和, 河遠江乃うちに亂入し、足助をゝかしかすむ、足助ま郷人共徒黨して、岡崎, をせめむとはりるよし聞しけれ〓、東照宮、玄銕と百々村の領主青山喜大, 村之左右与申所ニテ討死、敵ハ東三河吉田口江退散候、此旨達上聞、右衞門, 忠重、卯野小兵衞某等とゝもに馳向ひ、即時にうちるふり、乃りるゝを追て, 尉度々之武功預御感候、, 〔寛政重修諸家譜〕, 初重玄、右衞門、在, 名阿知和を稱す、, 三十, 三, ヲ却ク, 忠門戰死, 玄銕等之, 士岡崎ヲ, 遠江ノ郷, 襲フ, 元龜二年四月十九日, 一七〇

割注

  • 初重玄、右衞門、在
  • 名阿知和を稱す、
  • 三十

頭注

  • ヲ却ク
  • 忠門戰死
  • 玄銕等之
  • 士岡崎ヲ
  • 遠江ノ郷
  • 襲フ

  • 元龜二年四月十九日

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  • 一七〇

注記 (29)

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